2014年5月12日月曜日

わたしを離さないで



きのう友人と観てきた。初の蜷川!3幕、3時間45分。

舞台を日本に持ってきたのに最初少し戸惑ったけれど、登場人物の名前や海老名や柏崎などの地名からぐっと現実味が増していい効果を出していたと思う。日本の高校のような制服を着てたわいもないおしゃべりに興じ、校庭で戯れている姿が、根本的な欠落を感じさせて胸が詰まった。

原作でも感じていた淡々としたストーリー展開の中にある不穏な空気は、舞台でも流れ続けていて、終わったときには肩が凝るほどの緊張を感じた。

3幕目のクライマックスで一気に持っていかれて、思わず涙。
遅ればせながら、映画も観たい!


2014年5月1日木曜日

演じること

こないだ友だちと話してて思い出したこと。

小学2~4年生の頃、
幼なじみの女の子と脚本を書いて、
演じてカセットテープに録音することにハマっていた。
あのとき動画が撮れてたら、
衣装とか舞台装置にもっと凝っていたと思うな。

カセットテープには音しか残らないから、
自分たちのイメージにより近づけるために音を作った。
水の流れるのを小石で表現したり。
ちょっとした演劇ユニットだったなぁ。

小学校では人形劇クラブに所属。
自分の演じる人形を自分で作るところから。

後に映画製作にちょびっと関わるのも、
文楽にハマるのも、
今舞台芸術に心が向くのも、
こういう時期があったからかなぁとおもう。

レース鳩 知られざるアスリート




本は読んでいるのだけど、なかなかブログ書くまでに至らず、
久々の投稿です。

知らなかったこんな世界!
鳩レースなるものは知っていたけど、
実際に飼っている人がいることとか、
鳩に対してこんなにも情熱を抱いているなんて。

図書館で新刊のコーナーを眺めていて、
なんとなく手にとったら、なんだかすごい世界が広がっておりました。

「はじめに」からいきなり熱い!
-----(引用)-----
ペットの入門書のコーナーで、レース鳩の飼育入門書を探してみたところ、鳩の本は全くのゼロ、1冊も置いていなかったのです。ところが同じコーナーに、多くの動物に混じって何と「虎の飼い方」なる本が置いてあるではありませんか。これは何と悲しいことでしょう。
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という具合です。

犬と人間は昔から友だち、と言いますが、
鳩も負けず劣らず身近な存在だったようです。
ノアの方舟にも出てくる通り帰巣性を活かした通信手段、
つまり伝書鳩として飼われていました。
そして18世紀には新聞社や商用通信、
家畜の精液輸送(!)まで多岐に渡って利用!
ロイター通信や共同通信社でも活躍!
戦時中はスパイのように敵陣地の写真撮影に利用!

そんなに重要な任務を仰せつかっていたとは知りませんでした。

この本の面白さは、普段見慣れない単語が満載だという点。
・鳩舎
・愛鳩家
・ベルギー鳩界
・軍用鳩
・FCI(国際愛鳩連盟)
・スポーツ鳩
・放鳩
・放鳩委員と競翔委員
・放鳩車
・配偶鳩
・競翔家
・社団法人日本鳩レース協会
・日本伝書鳩協会
・種鳩
・強豪鳩舎

........。

もう頭の中が鳩だらけです。
レースの場所や種目、参加方法も様々。
よい鳩の見分け方、血統、鳩舎の作り方、鳩の育て方も載ってます。
鳩界の巨匠の名言もあります。

おわりにはこの言葉でしめくくり。
----(引用)------
環境が許さないなら仕方ありません。もしそれ以外の事情で鳩レースに向かない人がいるとしたら、それは犬猫の飼育でも一流にはなれない人です。
さああなたも勇気を奮って一歩を踏み出してください。
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...奥が深いです、鳩レース。



「能楽妄想ナイト」というイベントで、荻窪の六次元に行ってきました。
 「能面祭り~面(おもて)の裏話~」。
観世流シテ方能楽師さんの解説で、掛け合いしながらおもしろ可笑しく。
能面に見る縄文系/弥生系という変わった角度からの考察、
実際の面を鑑賞しながら、使われ方などを聴いて、
最後はみんなで謡をやって〆。
若い女性がたくさん来ていて、会場内は超満員。立ち見の人も出るくらい。
終わってからも、世阿弥の親子の物語、
海外公演のことなど話は尽きず。
戦前までは会社員が仕事の後に観に来るとか、
たしなみとしてお稽古に通うような庶民の芸能だったとか、
そんな話も面白かったー
般若というのは、怒りではなく、内に押し込めていた
悲しみや嫉妬の感情が耐えきれずに表に出てきてしまったものだとか。
面の表と裏。
実は裏というのは、面の内側のことではなく、
付けている人間の顔のことを言うそう。
能面は、表の表情もあるけれど、それを遣う裏の表情によっても全然違うんだとか。


知れば知るほど、能の世界ってほんと深遠。。

能楽師さんたちは、自分たちが日々感動しながら演じていて、
その感動を一人でも多くの人に届けたいという思いで舞台に立つんだそうです。
観阿弥、世阿弥やその他この600年の間に
能楽を受け継いできた人たちと繋がる瞬間を味わいながら、謡い舞っているそう。




来月は能楽鑑賞教室を11人の団体で観に行きます。

そのときに今回仕入れたTips披露できたら楽しいかな〜






2014年3月24日月曜日

ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踏団 “KONTAKTHOF”


鑑賞メモ: — 場所: 彩の国さいたま芸術劇場 Saitama Arts Theater

どんな感情ももっていていい。
無防備さを表すことを恐れないでいい。
受け容れられない悲しみも。
輪や列にいるときの帰属の欲求、高揚もあれば、
はみ出したとき、とまどい不安になり、時に怒りをおぼえるのは当然なのだ。

ダンサーたちは個人としている。
だれかを演じたりしていない、そこがこのダンスカンパニーのCreationの意味。
持ち寄って組み合わせてできる作品は、一見無秩序のようで繰り返しでてくるモチーフや、シチュエーションがある。

奇抜さ、アクロバティックであることは手段。
観客がより自由にイメージできるように。
より信じ込みから解き放たれるように。

どのダンサーもわたしである。
ひとりきりと思っている一方で、そうではないことも知っている。
泣いている女に寄り添うシーンに自分を重ねる。

男と女は、
あなたとわたしは、
その関係性はくるくると変わる
唯一無二の相手を探しながら
死ぬまでずっと躍り続ける。
「なぜあなたでなければならないか?」

少なくともこの舞台の間は
ダンサーにあなたを重ねて。
重ねていいのよ
あなたの感情を
あなたの理想を
あなたの快楽を
あなたの絶望を

日常のなかで
いつか思い出して
このような時間を共にしたことを
 

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ダンサーたち、身長も年齢も幅が広いことに驚く。
一人ひとりが「自分」として居る感じが伝わってくる。
他の舞踏を観たことがあまりないけれど、
振り付けといっても、その人がもともと持っていたものが
引き出されていることが確かに「分かる」。

1人ずつ母語で話すシーンがあったが、
それがなくてもDiversity & Inclusionが
とても大切にされているコミュニティ(ファミリー)だと感じる。
それでいて、ヴッパタールはドイツだから、
みんな(たぶん)ドイツ語も話せる。

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ちなみに、こんなアンケートが入ってた-----------------------

・ピナ・バウシュ作品のどこに惹かれますか?キーワードでお答えください。

・ヴッパタール舞踏団のどういう点がユニークだと思いますか?

・今回、ピナ・バウシュ作品を見ようと思った理由は何ですか?


・今日の公演に何を期待していらっしゃいますか?


・ピナ・バウシュの作品についてご存知のことを記してください

・作品を観てどんな印象を受けましたか?キーワードを3つ挙げてください


・何が、あなたの記憶に残り続けると思いますか?


・この作品の中に、日本ではありえないと思われる感覚や美意識、


人間関係はありましたか?あったとすればそれはどのようなものでしたか?


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問いの立て方は面白い・・・でも、わたしならアンケートにはしないな。


ほんとうに知りたいなら、やっぱり「場」をつくる。

そっちの方がよっぽど面白いものが出るから。


"Wir haben so viele Pläne, ich kann also nur hoffen, es trägt uns so weiter. Aber es geht so schnell vorbei, ich habe viele Frühlinge gesehen, ja, und noch viele werde ich sehen. (たくさん計画があるの、だからこのまま続けていければいいと思う。でも時間はすぐ過ぎてしまう。これまでたくさんの春を見てきたわ、そう、これからもまだたくさん見られると思う)" -Pina Bausch

2014年3月20日木曜日

"Pina Bausch" by Anne Linsel




今週末にピナ・バウシュのヴッパタール舞踏団の
「KONTAKTHOF」を観に行く。
その前にどうしてもアップしておきたかったこの記事。

東京ドイツ文化センターでのドキュメンタリーフィルムの上映。
ピナやダンサーへのインタビューと、
いくつかの作品の断片で構成されている。


ピナ・バウシュのドキュメンタリーフィルムを観た。懐かしのゲーテ・インスティテュートのホールにて。

ピナは語る。
「感情と音楽がある」「一人ひとりのダンサーがもっているものを作品にする(creation)」「イメージがオープンだから多様な感想がもてる」「自分がどんな時代にいるのかを知り、自分を通してそれを表現する」「表現できるよう、安心を大切にしている」ここでもVulnerabilityがテーマ。

ダンサーたちは語る。
「ピナは厳しいが限界をつくっているわけではない」「ピナの前では何をやってもいい。何をやっても受け入れられる。信頼がある」「雇用関係ではなく恋愛関係」「まるで大きな家族のよう」「一人ひとりを愛してくれていた」組織、かくありたいわたし。

愛する人について語るときに、それまでの作品について語るときとはうってかわって、緩んで少女のような表情になるピナが美しかった。「わたしは自分の身の回りのことになるとほんと無頓着でダメなのよ。彼がいてくれるから作品に没頭できる」

"kennenlernen(知り合う)"という単語が何度も出て来た。
ヴッパタール舞踏団の"KONTKTHOF"は今週末。観客には何が問いかけられるのだろう。

わたしとダンサーたちとのkennenlernen、楽しみ。


わたしのマチオモイ帖@ミッドタウン(東京)



最近、展覧会と舞台芸術に関心が強くて、
行くとまた新しくフライヤーをもらってくるので、
チェックして...という循環になっています。

きっと生きる上でアートが必要な時期なんだと思います。
アートやカルチャーがなくても生きて行ける人もいるけれど、
わたしはそれが途切れるとしんどくなってくるみたい。
今は、ややむさぼるように欲しています。

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マチオモイ帖は、日本全国のデザイナー、写真家、イラストレーター、映像作家、コピーライター、編集者などのクリエイターが、自分にとって大切な町、ふるさとの町、学生時代を過ごした町や、今暮らす町など、日本各地に眠る無数の価値を、それぞれの思いと共に小冊子や映像にして紹介するものです。そして多くの人たちの人や地域や社会に対しての思いと重なり合い、ゆるやかであたたかい共感の輪が広がり続けています。”
http://machiomoi.net/

フロアいっぱいに広げられた「帖」の数々。
こんなにもたくさんあるとはおもっていませんでした。
そもそもここでは、行政区分における町ではなく、
地区や字や集落や◯◯駅周辺も含んだ、とても広い意味のマチなのです。

そこへの「わたし」と「マチ」の関係を綴り、写し、思い出を閉じ込める。
これはやはり「帖」という形態でなくてはならなかったのだろうなぁと、
バリエーション豊かな装幀に触れながら思いました。
ブックデザインの世界には限界はない!

まちを愛する気持ちで、つくる人もかかわる人も見に来る人も
みんながつながっている感じがあって、
心がほくほくする時間でした。

日本は平坦で平準化、標準化されている、
なんて誰が言ったのか。

見知らぬマチの中に、自分のマチを見つける。
かつて暮らしたマチ、
今暮らしているマチ、
訪れたことのあるマチを、
わたしではない誰かが、愛をもってパッケージしている。
人生の記憶を辿ったり、
自分のルーツを探ったり。
それは、ほんわか愛だったり、ねっとり愛だったり、
深度も奥行きも様々。

思い思いの場所に座り、手に取っている人に、
聞いてみたくなりました。
「なぜその帖を手にとったのですか?」
「あなたには、そのマチにどんなエピソードがありますか?」
......。
やっぱり、テーマの下に人が集まっているとき、
わたしはそこにinteractionを起こしたくなるんだな。


5歳ぐらいの女の子がたたたーっと駆けて来て、
「わぁ、これつくった人、みんなすごいな」と言っていました。
ほんと、そうだな。みんなすごい。