2013年12月22日日曜日

世界一美しい本を作る男

Super! こんな生き方もあるのか。
クライアントがぶっ飛んでるから、
ついて来られる奴だけついて来い!
の世界になるわなぁ。
本人は、 見た感じパッとしない中年男性で、
まったくスタイリッシュじゃないのに、
クライアントのイメージを超えた提案ができ、
採用され、成功をおさめる(人々の心を打つ)のが面白い。
職人て往々にしてそうなんじゃないかな。
心当たりが何人か目に浮かぶ......。
本を表現手段にする人がいる限り、
「美しい」本を求める人がいる限り、
本はなくならない。
とあらためて思う。

2013年12月4日水曜日

「はぐ」


佐々木マキさんによる、あとがきより

"「ハグ」より「はぐ」と表記した方が、
二つの体が密着することで、
両者の間にあった空気が、
ばふっと四散する感じがすると思ったからです。"

うん、「はぐ」がいいな。
「ひしっ」のときも、
「おずおず」のときも、
抱き合うときの、
あたたかくて、
やわらかい感じが出ていて。


hugという字面も、「はぐ」に近い。

2013年11月30日土曜日

Lesung mit Yoko Tawada


好きな作家の一人、
多和田葉子さんの朗読会@上智大学へ行ってきました。

多和田さんは大学卒業後にドイツに渡り、
以来30年間ドイツで暮らしている。
日本語とドイツ語の両方で小説や詩を書く、
バイリンガルな作家として有名です。

私と多和田さんの本との出会いは、
エクソフォニー 母語の外へ出る旅」(岩波書店 2003)から。
彼女のもつ言語感覚に強く惹かれました。

小説も好きだけど、日経新聞に連載されていたエッセイ、
「溶ける街透ける路」(日本経済新聞社 2007)が一番好き。

単行本にするとたった4ページの短いエッセイの中に、
それぞれの街の空気が凝縮されていて、
日差しの濃淡や、その季節の匂いまで感じられます。

もしや......と期待して、本も持参したけれど、
サインの時間はなく、残念。
早めに会場を出てしまったけど、実はあったのかな??

どんな方なのかとドキドキながら行ったら、
多和田さんは、想像していたより
ずっとかわいらしくて、
情熱的で、ユニークで、
好奇心いっぱいな人だった。
小柄な身体から、尽きないエネルギーが出ているよう。
それが場にも伝わって一体となったエネルギーに
会場が満ち満ちているのを感じました。


彼女の力強く優しく美しい声で語られる朗読は、
ドイツ語も日本語も、
とにかく素晴らしくて、
もっとずっと聴いていたかった。
久しぶりにドイツ語に浸れたことも嬉しかった。


後半の質疑応答の時間では、
ドイツ語と日本語が混ざりながら、
いろんな話題が出ました。

例えば。

日本語には、一人称を表現する言葉がたくさんあります。
わたし、わたくし、あたし、あたい、うち、ぼく、おれ、わし......
方言も入れればかなりの数になりそう。

でもドイツ語では、"Ich"のみ。
「とても開放的で、透明感があって、重みがない」
と多和田さんが表現していて、少し驚きました。

日本語では主語を抜かすことが多い。
だからIch(私は)とつけるのは、
私の日本語的感覚からしたら、「私は!」「私が!」と
とても自己主張しているように思えるはずだから。

でも、一人称の表現のバリエーションが多いということは、
「どれかを選択しなければいけない」ということである。
そして、どれかを選択すると、
当然その後の話し言葉や語尾もそれと連動して変わらざるを得ない。
また、一旦選択すると、途中で変更するのも違和感がある。
その点、「Ichは常にIchであり、
わたしはわたしのままでいられる」

また、
「小さいころ、『わたし』でも『ぼく』でもない時期があって、
どちらかを選ばなければいけないのが、嫌だった」
というエピソードも披露。


ドイツ語から日本語を見たり、
日本語からドイツ語を見たり。

日本では、多くの人が、母語は日本語のみ。
一旦母語の外へ出てみると、世界が広がる。

多和田さんは、そのおもしろさを
書く実験を通して伝えてくれる、
貴重な作家だと思います。

そして、
一つひとつの作品に込めた思いや背景を
作家本人から直接聞ける
この朗読やリーディングの場もまた、
とても貴重な機会でした。

世界のブックデザイン World book design 2012-13



印刷博物館で今日から開催されている
「世界のブックデザイン」展に行ってきました。

開催初日に行ったのは、初めて。
さすがに本も並べ立てできれいです。
来年の3月2日までと会期が長いので、
終わるころにはどうなっているのだろう。

日本、ドイツ、オランダ、スイス、
オーストリア、ベルギー、カナダ、中国の8カ国で
それぞれ開催されたコンクールの入賞作品と、
毎年ドイツで開催される国際コンクールの入賞作品から、
200点が展示されています。

「美しい本」というだけあって、
一冊一冊がものすごく個性的。
実物を手にとって、
サイズ、素材、紙質、色、フォント、言語、写真、レイアウトなどなどを
細部まで触れてみて味わって、さらに解説も読んで...
というのを一冊ずつやっていたら、
まるで一人ひとりとじっくりと対話しているような気持ちになって、
さすがにいっぺんに個性の強い200人と順番に話すのは疲れて、
2/3ぐらいと話したところで、また出直すことにしました。

私は読書も好きだし、本というモノ自体も好き。
「美しい本を所有したい!」という気持ちもある。

いろいろ思ったのは、
本というモノはなくならないであろうな、ということ。
紙はなくなるかもしれないけど、
本はなんらかの形で生き続けると思う。

同列に語るのが適切なのかわからないけど、
音楽にしたって、再生(再現)の手段や機器が
技術の進歩で変わっていっても
ミュージシャンが生で演奏するのを聴きたい人がいるように
(そういうつくりの音楽じゃないものを出しているミュージシャンは除き。。)
本もまた、生のモノに触れていたい人はいるのです。

だからこそ、これからはもう、
美しい本しか存在しなくなるのではないか。
もっともっと美しさが追求されていくのではないか。
美しくない書籍は、電子書籍やネット上に存在していればよく、
これからは、資源ゴミやリサイクルに出されていたよりも、
もっと簡単に読み捨てられ、「消去」されていく。

じゃあ、その本の美しさって何?
と思ったら、この展覧会へぜひ。
今、評価されているいくつかの美しさの基準が見えると思います。
それは、来年になったらまたもっと進化していることでしょう。

しかも無料!

私もまた足を運ぼうと思います。






「小屋 働く建築」


小屋、小屋、小屋。
とにかく小屋。
ゲシュタルト崩壊しそうなほどの、小屋の写真の数々。

こうも並べられると、
世の中には、小屋のおもしろさに着目して、
普通に歩いていても、車を運転していても、
ついつい脳が小屋をピックアップしちゃう、
という人がいる、
ということに驚く。

でも、この写真集を見てると、
次第に「なるほど」と思う。

---<引用>---
「つくり手の思いが等身大のままで突っ立っている小屋。このちっぽけな建造物には、人の気持ちを和ませたり、感動を呼びさます生命力(エネルギー)がいっぱい詰まっていた。(〜中略〜)人がのびのびと気ままにつくりあげた小屋だから、そこには作り手たちの人間くさい記憶が肖像写真のように封印されていた」

「母屋は快適な住まいを目指して建てられている。伝統的な家もあるが、住宅展示場にあるような最新モデルの家があちこちに建っている。全国で住まいの外観が似てしまうのはしかたのないこだ。そこに対し、小屋は番外篇である。少々アバウトにつくろうが、派手になろうがおかまいなしである。遊び心が発揮できる。つくり手はにわか大工に変身して、頭に浮かんだ使いやすくてかっこいい小屋づくりに没頭することができる。そのいいかげんさが良い加減なのである。」

---<引用>---


p56からの小屋採集は、
目的がより明確で文化財としての価値も高く、興味深い。
地域特有の風習や行事のための小屋、
生業のための小屋など、
多くが、時代の変化と共に消え、
写真しか残っていないのは、残念であるけれど。

小屋の魅力とは何か。
人間くさい
人間サイズである
ということかな。

消えてしまった小屋たちも、
これからまた暮らしが人間サイズになれば、
また違う形で復活するのかもしれない。

このINAX BOOKLETシリーズは、昔から大好き。
今は、会社も社名も変わったので、
LIXIL BOOKLETになってますが、
相変わらず面白いタイトルが並んでます。

東京の京橋には、ブックギャラリーもあり。
一度訪れてみたい。



2013年10月27日日曜日

最近読んだ漫画

久しぶりのブログ更新。

一時期の読書熱は引いて、
今は、
・音楽
・身体の表現
・即興
・ビジュアル表現
などに関心が向いています。

読書もしてるけど、
前ほどノンジャンルで
ガンガン読んでいくのではなく、
気に入ったものだけを細々としてます。

恐らく今の自分の気持ちを表現するだけの語彙を、
今の時点でだけども、とりあえず獲得した、
ということなのかな、と思います。

とはいえ、バッグには常になにかしら
活字ものが入っているのですが。


漫画の方はコンスタントに読んでます。
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★海街ダイアリーシリーズ/吉田秋生
吉田秋生の真骨頂は、「櫻の園」だと思うけど、
もちろん「BANANA  FISH」も好き。
そしてこの海街シリーズは、
人間への眼差しの優しさにグッときて、一番好きかも。



★坂道のアポロン BONUS TRACK /小玉ユキ
完結したと思ってたら、
こんな粋な番外編が出ていたとは!

サントラも借りて、あらためて浸りました!
しかも1-9巻まで中古で一気買いしてしまいました。
最近、書籍を持つことは保管スペースの都合上、
極力しないようにしているけど、
これはなんか手元に置いときたかった。



★宇宙兄弟/小山宙哉
これはもう「読まんとね!」という感じで。
こういう力のあるマンガがある日本ってすごいよね、と思う。



★ちはやふる/末次由紀
巻を重ねるごとに、もはや恋愛モノじゃないくて、
本当のかるた漫画になってきている。

かるた競技そのもののすごさが出てきてて、
まるでスラムダンクみたいな勢い。
百人一首を経験したことのない人は
これをどんな風に読んでるのかしら?

2013年9月13日金曜日

北海道立三岸好太郎美術館

7月に北海道に行ったときに、
札幌の北海道立三岸好太郎美術館にも行ってきました。
こちらの本を読んで気になっていたので、タイムリーでした。


森の中にたたずむ美術館。
近くに道立近代美術館があるのですが、
そちらから流れてきて訪れる人はそれほど多くはなく、
地味に存在しているという感じです。
個人的には居心地がいいのですけどね。

三岸好太郎......いったいどんな絵を描くのか?
あえて予備知識少なめで行ってみました。

彼が画家として立ち、活躍したのは、
ほんの10年ちょっとの間。
31歳で亡くなっています。

その10年の間に、
ちょっとびっくりするほどの画風の変化。
とても同一人物のものと思えず、正直、戸惑いました。

今まで私が見てきた画家の作品は、
もちろん画風は変化していくのですが、
根底には同じものが流れていることが
しっかりと感じられるのですが、
三岸に関しては、なんだかよくつかめないなぁ、
という感じでモヤモヤしながら出てきてしまいました。

例えて言うなら......
「どんな女とも付き合える男」みたいな感じなのかな。

実は、三岸自身の作品よりも、
企画展「絵からとびだしておいで!」のほうが面白かったりして。

なかいれい」さんという絵本作家/イラストレーターの方が、
三岸の作品を舞台にした絵本を描いていて、
その絵本の原画と、
題材にした三岸の作品が並べて展示してありました。

「マ〜ル」というオリジナルのキャラクターが、
絵の中に入り込んだり、
絵の中の人物と会話したりする様子が、
ビビッドな色づかいと可愛らしい絵柄で表現されてます。

パロディとはまた違う、
こういう絵を題材にした発展のさせ方(遊び方)が
ありそうでない感じ。
自由でユニークで、楽しい。

「美術作品で遊んでみる」という試みは、
いろんな美術館で行われていますね。
作品に対して、作家も観覧者も参加させようとする潮流、
面白いです。
これからもアンテナ立てて行きたいところ。

そうそう、三岸が東京の中野区鷺宮に建てたというアトリエは、
バウハウスを学んだ友人が設計したものだそうです。
「現存しているのか?(だったら見たい!)」
と思ってググってみたら、
お孫さんの手で丁寧に保存されているようですね。

ぽつぽつとイベントやワークショップなどもされている様子。
気になります!



2013年9月12日木曜日

最近読んだ漫画


最近読んだ漫画の記録。
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★テルマエ・ロマエ/ヤマザキマリ


軽いパロディマンガみたいなものかと思っていたら、
すっごい本格的に時代考証されてるし、描画も丁寧でびっくりした。
面白かった!




★コウノドリ/鈴ノ木ユウ


「実はもうひとつの顔があって」という設定は、
今のところは必要なのか?って感じだけど、
これから話が進むにつれてじわじわ利いてくるんだろうか。

スムーズにいってしまうと、
妊娠・出産は、昔も今も奇跡的なことだし、
命がけの行為である
ということを忘れてしまいがち。
その現場で向き合い、葛藤する人たちがいることも
思いださせてくれる。
経験者でなくとも胸打たれるマンガ。




★鈴木先生/武富健治




巻を重ねるごとに表紙が怖い。。
またこの劇画が、えも言われぬ迫力で迫って来る。
一巻読み終わるごとになんか疲れる、
なんなのこのマンガ!!!!

当たり前だけど、
「仕事」って一単語でくくってるけど、
そこには数えきれないほどの職種がある。
そこで感じることも、葛藤も、喜びも、
人の数だけあるのだよね。

「沈黙」


村上春樹の「沈黙」が読みたくて、
図書館で検索してみたら、これがヒットしたので借りてみました。

『村上春樹全作品1979〜1989 5』に
書き下ろしとして収められているものでしたが、
「1993年に全国学校図書館協議会により、
集団読書テキスト中高生用に単行本化(wikipedia)」とあるのが、
恐らくこの明治書院から出ているもののことでしょう。

こちらのページに全収録作品が載っているのですが、
http://www.meijishoin.co.jp/book/b107645.html
近代〜現代の作家の作品が網羅されていて、
また長いものは、一章とか、一部分のみが掲載されているのもお手軽です。
副読本として、よくできているなと思います。
若干「読書ポイント」がお節介かな、
という気がしますが.......。

その中で「沈黙」は短編なので、
フルテキストが掲載されています。

この話はメインとなるのが、中学時代のことなので、
今リアルに人間関係に悩んでいる子どもたちへの
メッセージになることでしょう。

しかし、私は別のエピソードを思い出していました。
青木のような、利己的で執念深く人を貶めることに喜びを見出し、
機会を常にうかがっている人間に
実際に会ったことがあるからです。
また、青木の周りにいる
「風見鶏のように虚ろな人間」も知っています。

青木のような人間がいることを、
私はそれまで知らなかったのですが、
実際その人間の近くにいて、
話をしたりするとすぐにその異常さや、
存在そのものの邪悪さに気づくことになりました。

とても怖い経験でした。
しかし大沢さんが言っているように、
周りにいる虚ろな人間の方が、
ずっと怖いとも思いました。

自分の考えというものがなく、
ただ風が変わる方へ向くだけ。

こういう人たちに会ってしまったときは、
できるだけ全速力で逃げるようにしています。
関わりを持たないようにするのが一番です。

この短編、ほんとリアルで寒気がしました。








2013年9月11日水曜日

悪霊 ~下女の恋



いつものお芝居友だちにお誘いいただいて、
松尾スズキ作・演出のお芝居
「悪霊 〜下女の恋」を見てきました。

下北沢の本多劇場といえば、
なんとなく演劇の殿堂的な感じで、
お芝居に関しては、全く素人の私はドキドキでした。

収容人数386名。
決して広くはない、この適度な空間が観客としては心地よい。
興行的には難しいのかもしれないけども。

かなりハイテンションで始まるのだけど、
登場人物の背景が次第に見えて来ます。
血縁によって受け渡される負の遺産、
満たされなかった感情に対する喪失と悼みと物語。

気持ち悪いぐらいに笑いを挿入してくるあたりもシュールで、
悲劇なんだか喜劇なんだかの解釈も自由。
こういうお芝居は好きだな。

「面白かった!」ってスカッと笑えるものも好きだし、
「ああ、人間ってのはな...」と思うのも好きだし、
「切ない〜」とのたうち回りながら帰途につくのも好き。

お芝居の良さに最近また着目しています。
ギリシャ、ローマの時代から綿々と続く演劇という表現。
目の前で、人が生で演じるのを見て感じる体験を
根源的に必要としているんだなぁ、としみじみ思います。

もしかするとドストエフスキーの「悪霊」が
ベースになっている部分があるのかもしれないので、
「カラ兄」の次は、「悪霊」を読もうと思います。

そうそう、こういう舞台を観に行くと、
PRチラシを50枚ぐらいどっさりいただきます。
それを眺めるのも楽しみだけど、
必ず、シェイクスピアは入って来るのね。
今回のだけでも「リア王」「マクベス」「リチャード三世」「十二夜」。。
やっぱりシェイクスピアは普遍なのだなぁ。

堤真一のマクベス、、ちょっと気になっております。

2013年9月8日日曜日

「海辺のカフカ」

先月、村上春樹の「海辺のカフカ」を再読して以来、
カフカ・ワールドをひきずって暮らしている感じです。

出版された当時にオープンしていた
ウェブサイトの投稿メールを掲載したマガジン版
「少年カフカ」を最初に読んで、
その後小説を読み始める、
という変わったことを今回はしてみました。

この「少年カフカ」での読者と村上さんのやり取りが
一つひとつ深くて、
読むのに意外に時間がかかってしまいました。
まぁ、こういうのを楽しめるのも、
ファンだからかもしれません。


一度読んでいるはずなのに、
あらすじはほとんど覚えていなくて。
(私ってそんなんばっかり...)

でも甲村記念図書館のつくりや内部の様子、
近くの海辺の静けさや波の打ち寄せる音などは、
すごく強くイメージがついていたようで、
「またここに戻って来られた」
というような、懐かしい感じがしました。

単純に「好き」というのとも違う、
誰かとこの小説について語りたい感じでもない、
私にとって、とても特別でプライベートな作品だと感じました。

ほんとうにうまく言えないのだけど。


ついでに英訳版も読んでしまいました。

最後のカフカくんが旅立って行く49章は、
別れのシーンでもあるので、
今まで関わって来た人たちとの会話の
ひとつひとつの言葉に思いがこもっているのが
今の自分にはあたたかく感じられ、
何度も声に出して読んでいます。

サダとカフカくんのやり取りで出て来る、
"If you can't get it across in words then it's better not to try to explain, even to yourself. "
が、なんだか胸に響いてきます。



「カラマーゾフの兄弟」(途中)


ついに(ってほどのこともないけど)手をつけた「カラ兄」。
今、2巻を半分ほど読んだところです。

最初は人物の相関図がよくわからなかったので、
家系図を書いてみましたが、
ガルシア・マルケスの「百年の孤独」ほどではないかも。
(今のところ)

それにしてもウワサには聴いていたけれど、
登場人物、興奮し過ぎ......
みんな長ゼリフだし、ヒステリーだし、人の話聴いてないし、
事実無根で決めつけて来るし、皮肉だらけだし。
出自もすごいし。
うーん、面白すぎる。

血族や民族や国家や、果ては人類同士の愛とは何なのか、
ということを描こうとする作者の切実さを
ひしひしと感じたりもします。

「百年の孤独」の世界と全然違うのは、
百年の孤独は、ものすごく匂いがする。
肉とか血とか食べ物とか、ありありと感じられる。

「カラマーゾフ」の方も、リアルなんだけど、
寒すぎて鼻はあんまりきかなくて、
その代わり肌で風や空気の感触がびりびりくる。

いや、どっちも一読者のどうでもいい感想です。

最近、「カラ兄」を誕生日に頼んで
親に買ってもらったという人と知り合ったので、
読了する日が楽しみです。ふふふ。


「マクベス」

ここ3カ月あまり、
とにかくたくさんの本を読んで来ました。

小説、エッセイ、自叙伝、ビジネス書、
実用書、児童書、雑誌、写真集、英語のペーパーバック....
こちらにアップしているものは、そのごく一部です。

それでもなんだか飽き足らず、
図書館の貸し出し冊数も、
予約リストもいつも一杯。

「もうええわ!」となるまで、
しばらくこの状態でいようと思います。
なんといっても、
人生でこんなにも読書に捧げられる時間は、貴重です。
初めてといってもいいかも。

いろいろわかったことはありますが、
「私にとって本は、食べ物である」
「読書の習慣があってよかった」
ということ。

自分一人の世界に籠り、
あえて孤独に過ごすときに、
私の場合は読書があり、
その中で自分と深く対話することができるのですが、
その習慣が無い人は、何をして過ごしているのでしょう。
身体を動かすとか?

なんだろう...思いつかない。


「今、たくさん本を読んでいる!」と公言すると、
「これ、いいよ」
とさりげないオススメがあったりして、参考になります。
(もちろんオススメされても、
自分が本当に気が向いたものしか読まないけれど)



こちらの「マクベス」は、
オススメされてよかった一冊です。
シェイクスピアってあらすじは知っていても、
この台本の形で読んだことはなかったので、とても新鮮。

この岩波文庫のワイド版を使って、朗読をする会にも参加してみています。


マクベスが、運命のままに凋落していく様子を
常にギリギリのシチュエーションで描いていく、この迫力。
人間の弱さ、浅はかさなど、普遍的なものを感じます。

しかも朗読会で声に出して読み合わせしているので、
台本だけを読んでいても、スッと物語に入れる感じがあります。

シェイクスピアの作品の中でも、
薄い(ページ数が少ない)ので、すぐに読めてまずはオススメです。
他の作品も読んでみようと思います。

ちなみに、実家に帰ったときに近所の図書館で借りたら、
未だに返却期限を本の最終ページにスタンプで押すやり方で、
懐かしくなりました。


2013年9月7日土曜日

「走ることについて語るときに僕の語ること」


最近、村上春樹を小説もエッセイもまぜこぜで、
ひたすら読み直しています。
これもその一冊。

7、8年前は、夜の公園を走ったりしていたのですが、
最近はそんなこともなく、
基本的に走るのは苦手だという思い込みでいるので、
このエッセイにも、敢えて手を出さないでいました。

ただ、他のエッセイでも「小説家であるために走り続けている」
ということが頻繁に書かれているので、
それってどういうことなのか、
ちょっとじっくり聴いてみたいな、
と思って読んでみました。

心と身体のバランス、調和、統合、
取り込んだものを健全に表現すること、
健やかに長く生きて行くいくために必要なこと、
というような、私の今のテーマについて書かれていたように思います。

「フィジカルを継続的に鍛える」
いろんな場所で、いろんな人によって語られているし、
気づいている人はもう若いうちから始めているよね。
この休みの間に考えなくてはいけないことのひとつ。


-----引用------

「いずれにせよ、僕はそのようにして走り始めた。三十三歳。それが僕のそのときの年齢だった。まだじゅうぶん若い。でももう「青年」とは言えない。イエス・キリストが死んだ歳だ。スコット・フィッツジェラルドの凋落はそのあたりから既に始まっていた。それは人生のひとつの分岐点みたいなところなのかもしれない。そういう歳に僕はランナーとしての生活を開始し、おそまきながら小説家としての本格的な出発点に立ったのだ。」


「たくさんの水を日常的に目にするのは、人間にとって大事な意味を持つ行為なのかもしれない。まあ『人間にとって』というのはいささかオーバーかもしれないが、でも僕にとってはとりあえず大事なことであるような気がする。しばらくのあいだ水を見ないでいると、自分が何かを少しずつ失い続けているような気持ちになる。それは音楽の大好きな人が何かの事情で長期間音楽から遠ざけられているときに感じる気持ちと、多少似ているかもしれない。僕が海岸のすぐ近くで生まれて育ったということも、いくらか関係しているかもしれない。」

-------------------

私も湖と川のほとりで生まれ育ったので、
このくだりはすごくわかる。
「私にとって、
ものすごく大事な意味をもつ行為である」と断言できる。

33歳という年齢も、
そういえばものすごいターニングポイントだったなぁ。

吉本ばなな自選選集 2 LOVE


最近、「まるでこれはよしもとばななワールドだな」と
思うような不思議ないいことが私の身近に起こるので、
ばななワールドってどうだっけ?と思って、
こりずにまた手を出しています。
(実は読むのはなんか怖いw)

1話目が「白河夜船」。
出たのは確か私が中学生の頃だったと思う。
高校生の姉が買ってたので、読ませてもらった。
今、読むとすごい話で、当時の私はきっとサッパリ
(書かれていることの10分の1も)理解していなかったはず。

それでも、しみじみと、しんしんと、
夜がこの世界に等しく降りてくる感じとか、
大事なものが永遠に喪われたとき、
傍目には、なかなかそうとは気づかれないけど、
孤独にまみれてのたうちまわる感じとか、
そこからまた再生していく人間の力とか、
そういうものが思いだされて、
ちょっとじんとした。


じんとしたところ引用>>
----------
「虹を作りながら、泥の水たまりに映る美しい空、流れて行く雲を見ながら私は思った。こういう小さな、笑ってしまうようなことが、人生を作る細胞だと。ていねいに感じることができるコンディションでいることはむつかしい、そのためには私には、空や、草花の息吹や、土の匂いがとても必要だ。(ハネムーン)」


「人を殺すこと、その肉を見ること、血に触ること。それをいやと思わない心はみんなの中に等しくあるのだ。しかし、あると知っているからこそ、ごく普通に、行かないように保っているのだ。でも誰かがその世界に惹かれたら、止めることはできない。その暗い世界では人は単なるもの同士であり、感情は深く触れ合わず、力と孤独のみが行動を決めてゆく。それはそれで私たちの生きている現実に匹敵する真実の世界だ。裕志をそこに行かせたくなかった。(ハネムーン)」
----------

ちなみに私の身に起こる不思議なよいことの方は、
「不思議だ、これは何だ」
と最初は意味とか「本当のこと」を知ろうと一生懸命考えていたけど、
今は、頭で考えるのはやめて、
ありがたく不思議なよいものとして頂戴しておくことにしました。


「LENI RIEFENSTAHL LIFE」


図書館で、レニ・リーレンシュタールの
ライフヒストリーを追った写真集を見つけました。

度々書いてますが、こういう大判で、
個人ではなかなか手が出ない値段の本が、
図書館に所蔵され、自由に閲覧できるのは、
ほんとうにありがたいことです。

ダンサー、女優、映画監督、写真家、スキューバダイバー...
と彼女の才能を発揮するフィールドが広がっていくにつれて、
ますます美しさが増していくのに圧倒されました。
天は二物を与えず、っていうのはウソだな、とあらためて思う。

そこに惹かれてゆく男性との関わりなどもみてゆくと、
なかなか興味深いです。
強い女のイメージしかなかったけど、
好奇心いっぱいで、真っ直ぐで、
愛情が多い人でもあったのではないかと、
勝手にそんな気もしてきます。

しかも101年間も、、、なんて濃い人生なのか!




2013年9月2日月曜日

「野中ユリ展」


神奈川県立近代美術館鎌倉別館(長い...遠い...)
で開催していた野中ユリ展に行ってきました。
実はこの方のことは存じ上げなかったのですが、
なぜはるばる行ったかというと、
私、コラージュものが大好きなのです。

今回は、平面のコラージュのみでしたが、
造形のコラージュもあるそうで、
「日本のジョゼフ・コーネル」とも呼ばれているのだとか。
存じませんでした。。。

ちなみにこのメインポスターを見て、
「中学生のときにつくった年賀状やん!」
と思ってしまいました。

当時は、コラージュという言葉も知りませんでしたが、
切り貼りするのが好きだったんです。
チラシやポスター、ロゴやフォント、
包装紙などをつかって、
独りで黙々と作ってました。
気に入った素材は、箱に入れてしまっておいたり。
内向的で暗い中学生だったなぁ〜......。

野中ユリさんについての情報は、会場にもほとんどなくて、
(活動の年譜はあったけど)
どういう人となりかよくわからず、
作品から想像するしかなかったのだけど、
私の頭に浮かんだキーワードは、

「超絶孤独」

だった。

それは哀しみも苦しみもない、
ただの絶対的な孤独。

そういうものの一部が、
自分の中にも綿々と生き続けていることもまた
味わいながらのひとときでした。

久しぶりにコラージュ、してみたくなって、
ごそごそと素材を集め始めているこの頃です。





2013年8月25日日曜日

鉛筆削り

久しぶりに鉛筆をカッターナイフで削ってみました。

小学校で、確か一人一丁(という単位でいいのかな?)
小刀を購入しなくてはいけない時期があって、
自分で削った鉛筆を持ってくることが
推奨されていたように記憶しています。

私はもともと文房具屋で売られているような、
小型の鉛筆削り器が嫌いでした。

力の加減が難しくて、すぐに折れるし、
削った先がすぐに丸くなるのが、気に入らなかった。

だから、小刀やカッターでの削り方を知ってから、
毎日楽しく削っていました。

小刀で削ると芯の部分がたくさん出せるし、
円柱にならないので、
書き味の良い角部分がたくさんできるのです。

きょうは息子の色鉛筆を削っていて、
思わず夢中になってしまいました。

もっと削りたい!!

2013年8月9日金曜日

「三重の建築散歩」

「三重の建築?」
と一瞬思い、借りてみました。

伊勢神宮は、今年ご遷宮なので、パッと思いついたのですが、
それ以外の建築は、イメージが湧かなかった。すいません。
三重県のイメージ自体、私の中で乏しいのかも。
実家のお隣の県なのですが、意外と行った回数は少ない。

まえがきにある、
「建築(Architecture)は、単なる物質的な建物(Building)とは違って、
暮らしの中に根付き、人の営みに欠かせない「心の器」なのだ」(要約)
というくだりに、ふむふむとうなずく。


ページをめくっていくと、
俳聖の暮らしに思いを馳せる「芭蕉の生家」、
当時の賑わいが目に浮かぶ「松阪商人の屋敷」や「町井家住宅」、
太鼓楼のあるハイカラな「旧小田小学校」、
ジョサイア・コンドル設計の「六華苑」、
地域コミュニティを育ててきた「越賀の舞台」、
バウハウスの香りもそこはかとなく漂う「レーモンドホール」、
遊び心満載の「伊賀市役所」
などなど、
現役の建物も数多く紹介されています。

愛着とか、精神の拠り所とか、
経済や政治の都合で、切り捨てられそうなものを、
丁寧に検証していくことは、無駄なことではない。
今やこれからの町づくりのヒントになると感じます。
写真の撮り方も、編集も、文章も、
熱意を込めて丁寧につくられていることが伝わる写真集です。

どの建築も、美しさと持続可能性をテーマにもっているように思えるのは、
やはり伊勢神宮があるからなのか。



実家のお隣の県に、こんな美しい建築の数々があるとは、
全然知らなかった。

建築はなんといっても「感じる」もの。
機会があればどれも訪ねてみたい。

図書館での偶然の出会いに、心がほくほくしたひととき。

夏のかるた会

近所で開催された、かるた会で優勝しました。
参加者は20人程度で、ほとんどが小学生。
残りは、20代が一人、30代が一人(ワタクシです)
70代が二人といったところ。
1枚差でギリギリ小学生に勝てました。

2回対戦があって、100首全部読むのでけっこう長くて、
途中で集中力が切れそうになった。

やっぱり身体を鍛えるって大切だよなぁとつくづく思いながら、
なんとか自分を立ち直らせた精神力の強さに、我ながら驚く。

「自分で自分を立ち直らせるための
思考や感情のコントロール方法や順番を知っている」
ということは、
歳を重ねて得たもののひとつでありましょう。

私がとても楽しかっただけでなく、
本気で楽しみ、勝負に熱中する大人の姿を
小学生たちに見せられたこともよかったと思う。

若いほうが記憶力も瞬発力もすごいから、
負けるかな、と思いかけたけど、
大人は大人で強みがあるのだよ。
フッフッフ......。

テクニックだけではない、
歌の成り立ちや背景への深い造詣、
関連づける力、
集中力が切れかけても、立て直す精神力、
勝負に対する深いところからの貪欲さ、
などなど。。

強い大人と対戦するのは、こどもにとっても
すごく楽しいことだろうと思う。
「くやしい!」
「もっと強くなりたい!」
「追い越したい!」
って思ってくれたらうれしいな。

かるたサークルをやっているけれど、
外部の会に出るのは初めてで、
機会があればまた出てみたい。

私は競技かるたをちゃんと習ってたわけじゃないし、
記憶があやふやな札とか、
苦手で取れない札もたくさんある。
ちゃんとかるたをやってる人からすれば、
全く「弱い」のだろうけど、

でも楽しい。
ただ楽しい。

こどもの頃から家でやっていて、
学研の「まんが百人一首」をバイブルに、
とにかく一首でも覚えて、
たくさん札が取れるようになるのがうれしかった。

中学校のときの校内大会で、
一枚差で準優勝に終わったのが、
今でも悔しい思い出。
負けず嫌いだから。

関西出身で、歌われている風景の中で育っているから、
思い入れもひときわ深いかもしれない。

かるたの良さはなんといっても、
 ●芸術とスポーツが一緒になったユニークさ。
 ●年齢も性別も関係なく、フラットに勝負できる。
 ●勝負を経てうまれるつながり
かな、と思う。

ついつい調子にのって、
かるた会のHPなどのぞいてみたけど、
入会制限しているようで残念。

漫画の影響は、まだまだすごいみたいですね。

2013年8月6日火曜日

「もしもし下北沢」

最近、よしもとばななを読んでます。
と言ったら、オススメされたので、読んでみました。
下北沢と聞いたときに、上京したての頃に、この辺りに住む人を訪ねてきたことを思い出して、ちょっと懐かしいような、ぎゅっと照れるような感じがあります。

一緒に会いに行った友人は、彼女が自衛隊に入ってからはしょっちゅう基地を移動するので、いつしか連絡がつかなくなっていったっけ。

あとは、下北沢は古着とか古道具を買いに来たり、ちょっと年上の人と飲んだり。こういうまちを自分の行き付けにして、自然に馴染んでいる人をカッコいいと憧れたり。
上京したての一年目の、「これから自分はどうなっちゃうんだろ」と思ってた不安定な時期をばあっと思い出しました。


都会の中で生きるって、そうだよね、こういう感じ。大勢の中の替えがきく一人の感じと、でも個人が生きてる実感と、両方ほしいんだな。
結局、人間の営みなんて、どこへ行っても変わらない。
ただ、都会は隙間とか無駄とかがなくて、しんどい時がある。
何にも使われていない土地とか、ただの地面、みたいものはない。隙間なく、必ず何かに使われているよな~とまちを歩いていると思う。
だからといって、それが悪だというのでも、どうにかしたいというのでもないけど、ふと思う。
そういう感じをこの小説では表現していた気がする。


一見奇抜であり得なそうな設定になぜかわいてくる反感の理由が、読み終わるころには分かるという不思議さ。
反感というのは、例えば。。
夢で見たことで繋がったとか、誰かの言動や振る舞いで腑に落ちたとか、「現実には、そんなにすぐ悟れないよ」って思ったりすること。
一文が短いから、やたらと潔い人たちばかりのような気がすること。
でも段々と、ああ、そうか~と分かってくる。

「わたしを離さないで」

映画化もされて、ずっと気になっていた小説&小説家だったのだけど、ここにきてようやく読めました。

一度借りたものの、期限内に読めず、
でもやっぱり気になってもう一度借りて。。

こういうことが、実はしょっちゅうあります。
読もうと思って借りたはずなのに、いろんな理由で読めなくなる。
でも気になる本は、結局時がくれば、読む機会がちゃんと訪れるのだなぁ、と最近は思います。

ちなみに私は何冊かの本を並行して読んだり、つまんなくて途中を飛ばして最後を読んだりします。
いろんな本の読み方があるものです。

さて、この「わたしを離さないで」は、最初の10ページまでは状況を把握するのに少し疲れましたが、それ以降はすぐにある程度の輪郭が見えてきて、最後まで一気に読みました。

(家人が寝静まった夜中に、一人ごそごそと起きてきて、毛布にくるまってソファで本を読むって至福のひととき。)

私は、長いモノローグって苦手なのですが、そんなことを忘れるほどの細部に渡る緻密な描写で、画が動いているかのように、ありありとイメージできました。

次第に
「あり得なくない」
または
「このことを(なぜか)知っている」
という感覚になってくるのも不思議でした。

抑えた語り口の中に、一文や一語でさりげなく差し込まれる事実があまりにも衝撃的で、「え?今、何て言った?」と物語の途中で呆然と立ちすくむこともしばしば。

それでいて、物語は、立ち止まることをゆるさず、あっという間にエンディングまで運ばれていってしまった。。
まるで夢を見ているような、迫力のある小説でした。

不思議な読後感。。

これは読めてよかった!

2013年8月2日金曜日

「JAPAN THROUGH A LEICA BY IHEE KIMURA」


意を決して、満を持して...(というほどのことでもないか...)
「カラマーゾフの兄弟」を図書館に借りに行こうと思ったら、

なかった。。。

どなたか、私と同じこのタイミングで、
「カラマーゾフの兄弟」を読もうかなと思い立ったのね、
と想像すると、なんだか妙に親近感が湧く。

そんなことを思いながら、
書架をぶらぶらしていて見つけたのが、こちら。
「JAPAN  THROUGH  A LEICA BY IHEE KIMURA」

木村伊兵衛の写真は、「あ!」と思ったらもう撮っている、という感じが好きです。
「いい女だな」と思ったらもう撮ってる。

で、こちらの写真集は、もともとは1939年に三省堂から出版されたものの復刻版です。
400部刷ったうちの96号というナンバリングまでされていて、
大変貴重なもののようです。
お値段も「本体22,000円+税」。。。

こういう本も読めるって、
図書館の存在ってありがたいなーとつくづく思います。

1939年といえば、まさに戦時中。
まもなく太平洋戦争に突入しようという頃。
そんな殺伐とした時代の空気とは裏腹に、
穏やかで美しい人々の表情、暮らしぶり、伝統文化、風景。
でもこれらも対外宣伝(プロパガンダ)のために撮られた写真だったようです。
日本の特定の部分だけをよりよく見せるために、
特定の見方をして撮る、ということが行われた時代。

1941年からは、陸軍参謀本部の後援を受けた対外宣伝機関で、
「FRONT」というプロパガンダ誌の写真部主任に就任していたそうです。
そこでは、写真に仕掛けを施すこともあったようですし、
自分の理想とする報道写真とはかけ離れた仕事をしなければならなかったとか。

写真家として、とても辛い時代。
美しい写真の数々の裏には、苦悩もあったのかと、
単純ではありますが、木村伊兵衛の写真を見る目が、少し変わりました。

Fathers Work Less Hours in the UK

きょうの英会話、
「先生のオススメを」とお願いしたところ、
こちらの記事についてのディスカッションとなりました。

"Fathers Work Less Hours in the UK"
http://rarejobdailynewsarticle.blogspot.jp/2013/08/fathers-work-less-hours-in-uk.html

もうこのネタ、先生も私も、盛り上がる盛り上がる。。
前回が、アフリカの経済成長についての記事だったのですが、
自分の盛り上がり方があまりにも違うので、
思わず笑ってしまいました。

先生も小さなお子さんが一人いるので、
「わかるわ〜あなたの気持ち。うちもさ〜」
など、共感し合いながら、
熱く自分の思いを語りながら、
英会話のレッスンを軽々と超えて、人と人としてきちんと話せた感じ。

この「伝えたい!」って感じ、
何度も味わって、忘れずにいておこう。

文法はまだまだめちゃくちゃだし、
語彙が足りなくて、
言いたいことが言えなくて、まだまだもどかしいけど、
英語で伝えるのは、楽しい!





植田正治切手「写真するボク」

植田正治生誕100年記念ということで
発売された切手シート、
買ってしまいました。

窓口販売は、鳥取県内と、
東京でも一部の郵便局の取り扱いなので、
郵便局のサイトで買いました。

なかなか豪華です!
年表もついています。
「写真日和には植田写真場を妻の紀枝さんにまかせ、
自転車で写真を撮りに行ってしまうこともあったという。」
なんて。。

どこかで聞いたような、と思ったら、
木村伊兵衛でした。同じようなことが書いてありました。

植田正治の写真が好きで、
時々、家でもときどき写真集を出してきて眺めています。
モダンで、おしゃれで、懐かしい。

こんなPV見つけました。
遊佐未森さんの「初恋(作詞 石川 啄木 作曲 越谷 達之助)」が素敵だった〜


こども嫌いだった私の誤解

先日カフェでこどもとお茶していたら、
後ろの席の人が、
「うるさい」と聞こえるか聞こえないぐらいの声で言って、
コーヒーカップをがしゃんと音を立てて置いた。。。
ということがあった。

私も自分のこどもをもつまでは、
こどもが嫌いだったから、
「うるさいなぁ」って気持ちもわかるし、

親でさえ「ほんっとお前うるさいねぇ」と思うときは多々ある。

しかし他人からあからさまに不快感を示されると、
それはそれで凹む。。

もちろんその人には謝るし、こどもに説明するし、
そもそもこども連れでお互い快適かは
事前に考えて行動しているのだけども。

もちろんあたたかく迎えてもらえることも多いから、
凹んでばかりでもないのだけど。

こどもが身近にいないとわからないことも多い。

例えば、
 ・こどもは、親の言うことはきかない
 ・こどもは、ほんの2,3秒ぼーっとしてただけでも、どこかへ行ってしまう
 ・親は(というか人は)、こどもだけに注意を向け続けることはできない
ということがある。

でも私は以前は、「親がなんとかしろよ(怒)」と思っていたので、
それはほんとゴメンナサイ、と思う。
親が全力で対応してても、こどもはコントロールなんかできる存在ではないのです。

ちなみに
 ・こどもを電車やバスの椅子に座らせておくのは、甘やかしている
という批判をどこかで見たけど、それは違います。

こども(特に未就学児ぐらいの年齢)は、
放っとくと、手すりももたないでちょろちょろするので、
倒れたりぶつかったりして危ないのです。
そういうことをしていると、他の乗客の迷惑にもなります。

知らないといろいろ誤解あるよね。。
でも「違うのよ」ってわざわざ現場で言えないし。

そういうこと、たぶんもっとたくさんあると思う。

道具を手に


JALの会員誌に掲載されてた興味深い活動。

「道具を手に」というフランスの非営利の市民団体。
http://www.loutilenmain.asso.fr/default.asp?
(フランス語なので読めないんだけど、、)

リタイアした職人たちが週1回、ボランティアで中学生に手工芸を教える。
ただの体験ではなく、2年間みっちり手取り足取り教えてくれる。

「職人技」は、七宝焼、料理、鉄工芸、石工複製、モザイク、
園芸、木工、電気回路、羽ペン書道、縫製、模型、設計図...など幅広い。すごい。

このアトリエがきっかけになって、職人を目指す子もいるとか。


-----(以下引用)-----
「相手が子どもだからといって、ちゃちな道具を使わせるのではなく、本物の鑿や金槌などの工具を持たせる。鉄の溶接では火花が飛ぶし、彫刻では埃まみれにもなる。シニアが一生をかけて磨いた技術を伝授されるのだから、子どもたちの目も輝くはずだ」
--------------------------

中学生にもなれば、本物を知りたいという欲求は、より強くなる。
本物をもたせてもらえて、本物(シニア)から伝授されるというのは、
ものすごく刺激や向上心をかき立てられることで、
ワクワクするだろうな、と思う。

思春期の若者も、シニアも、お互いに本質を見つめる目が鋭く、
ごまかしが利かない、そして探究心がある世代。
この交流はすばらしい。

言葉にすると「世代間交流」って陳腐なのだけど、
具体的な形として世の中に存在しているのを見たり、
自分がその中に居たりすると、
ほんとうに様々な手段(これの場合は、道具)があり得るのだと思う。

そして、このような活動がもたらす影響は、
こどもの居場所づくり、シニアの社会貢献、認知症予防、
キャリア教育、技術の伝達・伝承、地域コミュニティの形成、など、
ほんとうにたくさんあると感じる。







2013年7月28日日曜日

英語で伝える、その後

オンライン英会話、
だいぶやってきたように思ってたけど、サマリーを見たら、
きょうでやっと25回でした。

回数を目標にしていたわけではないので、べつにいいのだけどね。

できるようになったのは、

・英語で話すことに慣れる
・わかったような顔をしない (わかるまでとことん質問する)
・適当な単語がわからないとき、意味を説明して先生に「ああ、それは~ね」と出してもらう
・「こういう意味?」と要約して返せる
・過去にインプットした語彙、単語、フレーズがパッと思い浮かぶ

だいぶ進歩です。

この25回の前半は、
文法のやり直しなどをして、
後半はreading articleをメインに。
やっぱりarticle は、
自分の考えが話せるし、楽しい。

オンライン英会話は、自分の生活や性格に合ってると思う。


いろいろ気づくことが多いけど、特に、英語的文化では、やはり

'What do you think about that. Why or Why not?'

がコミュニケーションする上ですごく大事なことなんだと、あらためて思います。
些細なことでも、「なぜ?」ときかれる。
相手に関心をもっていることを示すのは、やっぱり基本だな、と。

日本語では「なんで?」は質問されないことも多いように思います。習慣?文化?ある程度親しくなるとガンガン突っ込めたりするけど、、

「そうなんですね」は、まるごと聴いているようで、相槌にすぎない。

相槌は相槌で、「聴いてますよ」というサインではあるけど、話し手にとって本当に聴いてもらえた実感があるのは、要約とか質問が入ったときだろうと思う。

私も先生が自分の考えを話しているときは、もうちょっとアクティブに聴いてみよう。

今までは自分の考えを話すことで精一杯で、話しおわった途端気が抜けてたな。。


今後とも、

-複雑なことは言わない
-正確さは追及しない
-これは「本番」じゃなくてトレーニング
-気分がのらない日は無理しない

を心がけて、細く長く、楽しみながらやってゆこうと思います。


2013年7月26日金曜日

大人の友情

「やっていけそう」と
「もうだめだ」を繰り返す日々が続いて、

「もうだめだ」がやや強くなったころに、
そのことは何も言っていないのに、
会おうとか、話そうとか、
声をかけてくれる人があらわれる。

元気にさせてあげようとか、
話を聴いてあげようとか、押し付けがましいところもなく、
無事を確認して安心したい、という自分本位なところもなく。
そういうのは、すごくありがたい。

人が必要としていることを感じ取って、行動する。
私にはなかなかできないことをさらりとやっていて、
それもすごいと思う。

よく考えてみると、そういう人とは、たとえ一度でも
「自分が心をつかって話したし、
 相手も心をつかって話していた」
という実感がある。

心をつかって話すときには、
なにかすごく大切なものを、
交換しあっているのだと思う。

だから、いつも一緒にいなくても、
その感触が、深いところで残っていて、
つながりを感じられる。

友情というのは、会う頻度とか、年賀状のやりとりの有無とか、
SNSでつながっているとか、
何か形で示されるものではなくて、
心で感じるものかもしれない。
自分が感じていて、相手にとっても自分がとくべつな存在だと信じられる、
そういう関係性なのかも。


表面上は何も進行していないようでも、
一歩も動けないように見えても、
無駄なことばかりやっているようでも、
こうやって一日一日、
こつこつと、
私は何か人生にとって大切なものを貯金しているのだ。きっと。

そういう私を、
この世界は、広く高いところから見ていて、
ふいにあらわれる虹という形で、祝福してくれたりする。

41円

懐かしいですね、41円ハガキ(しかも往復)。
使おうかなぁ、と思ったけど、
最後の一枚だったので、とっておくことにします。
フィラテリストとしては、やはりときめく。

使おうにも、あと9円切手が2枚必要です。

9円切手!? 
まだあるのか?

消費税アップの直後は
たぶんたくさん出回っていたと思うけど。

往復ハガキを使う用事は、
だいたいが区のイベントの申込み(抽選)です。
「きょうび、往復ハガキって!!」と思うけど、
主催者からすると便利なんですよね。

 ・無作為抽選しやすい(厚紙だし)
 ・プリントアウトの手間がない
 ・連絡費用の負担がない
 ・E-mailより到着が確実
  (迷惑フォルダに入ったり、E-mailアドレスのタイプミスがあったり、、)
 ・入場券代わりに使える
とか、そんなところ。

2013年7月25日木曜日

「村上朝日堂」



村上春樹さんの本もどっさり読んでいます。
「村上朝日堂」は昔よく読んだので懐かしい。

気楽なQ&Aの中に、
いくつもハッとさせられるやりとりがあったりして、
けっこう時間かけつつ読んでいます。

いろんな背景をもった人が投げて来る質問に
「僕の考えは...」という形で答える方が、
ご自身で自発的にエッセイを書くよりも、
人生観や「仕事」への思いがよりストレートに表されているように思い、新鮮です。

特に興味深いのが、以下のような小説家としての「態度」。

(引用)----------------------------
「僕が小説の中で書こうとしているのは、我々のまわりを取り囲んでいる現実世界の姿です。しかし現実の姿をそのまま現実的に書いても、その中核にあるもの(つまり現実を現実たらしめているもの)は浮き彫りにされません。現実を一度すっかり解体して、自分の精神性の中でもう一度作り替えることによって、それはようやく本物の現実性を身につけるのです。僕が作り替えたものは、一見すると、現実の世界とは違って見えるかもしれません。奇妙で、非現実的なところもたくさんあるかもしれない。でも僕が描きたいのは、現実の現実以上に本物でリアルな現実なのです。」

「僕はそのような超現実的なものごとを『難解な布石』という風には考えていません。そういうものごとを好まない読者が少なからずいることは理解できますが、僕の書く物語は(一部のものを除いて)そのような激しい隠喩を必要としています。僕にとっては自然なことであるし、とても切実なことなのです。我々の魂の深い部分は、暗闇に覆われていますし、そこではどのようなことでも起こり得ます。僕らがそのような領域を理解するためには、明るい領域における論理を使用するだけでは足りないのです。」

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最近大量に物語を読んでいて、私の中で、
本を読む体験にちょっとした変化を感じたので、
上で説明されていることは、すぅっと捉えることができました。

ひとつ、すごくいいな、と思ったのが、
「マラソンで沿道の人が“頑張れ”というかけ声をしてくるのがどうも...。何か他にいいかけ声はないのでしょうか」
というお便りに対する、
「アメリカでは"Looking good!"というのが多いですね」
という回答。
「素敵よ!」というような感じだそうですが、いいですね。
頑張るっていうのもなんかちゃうよなぁ...というシーンで、
「その人の輝きや可能性を感じて、言葉で返す」
という態度が含まれているように思えて(私が、勝手にだけど)、
とても好感がもてます。

あと、「カラマーゾフの兄弟」のネタがよく出て来るので、
むらむらと読みたくなってくる。
3年ぐらい前に新訳に挑戦したのだけど、
人の名前と関係性が覚えられないのと、
長セリフに堪えられなくなって、途中で断念したのだった。
今なら読めるかな。