2013年7月22日月曜日

ダッハウ強制収容所

夏の肌を刺すような日差しに、
毎年思い出すのは、
ミュンヘン郊外のダッハウ強制収容所を訪れた時のこと。

ミュンヘンは、それを目的に行った訳ではない。
ガイドブックに小さく小さく載っていた囲みにふと気づいて、
そうしたら、どうしても行かねばと思った。



KZ-Gedenkstätte Dachau(公式HP)



門をくぐった途端、空気が変わる。
真夏なのに、なぜか寒くてたまず上着を着た。
喉がやたらと渇いて水を飲んだ。

「水を飲む」
そんなごく自然な行為さえも許されなかった人々のことを思うと、
今も胸が痛む。


ここに行ってわかったことは、2つ。

「確かに"それ"はあった」

ということと、

「人間は、人間に対してどこまでも残虐に成り得る。
 そしてその火種は自分の中にもある。」

ということ。


それを思い出させるために、
強制収容所は、保存され続けるのだろう。
私や私たちは、愚かだから、すぐに忘れてしまうのだ。
あるいは、自分の中の残虐性とホロコーストは全然別のものだと、
すぐに勘違いしてしまうのだ。


ありえないほどの数の人間が詰め込まれていた「寝台」。
今は綺麗にペンキが塗られたガス室。
死体が山と積まれていたであろう床。
拷問が行われた狭い部屋。
延々と流れている解放時の人々の表情を捉えたフィルム。
門扉の"Arbeit macht frei"の文字。
囚人たちが植えたポプラが、青空にそびえる並木道。

ひとつひとつ、現地で感じることは多かった。



周りはごく普通の民家が並ぶ住宅街で、
庭先には色とりどりの花が咲き乱れている。
当時も塀の一歩外はこうだったのだろうか。
それとも戦後に引越してきた人たちなのだろうか。
敷地の中と外のギャップが激しくて、
出てきてからしばらくめまいがして座り込んでしまった。



ドイツ国内には、ダッハウの他、
ベルリン郊外のザクセンハウゼン、
ヴァイマールのブーヘンヴァルトにも
強制収容所が現存している。

今まで、強制収容所を訪れたという人と
しっかりと話をしたことがない。
機会があれば、ぜひとは思っているのだけど。
なかなか出会えていない。
そこまでの深い体験を、
人はなかなか口にはできないのかもしれない。

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そういえば、少し前に嵐のように流行していた
「いつやるの?いまでしょ!」を聞くと、
プリーモ・レーヴィの「Se non ora, Quando?(今でなければいつ?)」
を思い出してしまって、どうしても呑気に受け取れなかった。

レーヴィはイタリア人の化学者。
ナチスのトリノ占領に対してレジスタンス活動を行ったために、
アウシュビッツ強制収容所に送られるが、奇跡的に生還。
後半生を収容所での体験などの執筆活動に捧げるが、
42年後の1987年に亡くなる。自殺とも言われている。




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