2013年8月25日日曜日

鉛筆削り

久しぶりに鉛筆をカッターナイフで削ってみました。

小学校で、確か一人一丁(という単位でいいのかな?)
小刀を購入しなくてはいけない時期があって、
自分で削った鉛筆を持ってくることが
推奨されていたように記憶しています。

私はもともと文房具屋で売られているような、
小型の鉛筆削り器が嫌いでした。

力の加減が難しくて、すぐに折れるし、
削った先がすぐに丸くなるのが、気に入らなかった。

だから、小刀やカッターでの削り方を知ってから、
毎日楽しく削っていました。

小刀で削ると芯の部分がたくさん出せるし、
円柱にならないので、
書き味の良い角部分がたくさんできるのです。

きょうは息子の色鉛筆を削っていて、
思わず夢中になってしまいました。

もっと削りたい!!

2013年8月9日金曜日

「三重の建築散歩」

「三重の建築?」
と一瞬思い、借りてみました。

伊勢神宮は、今年ご遷宮なので、パッと思いついたのですが、
それ以外の建築は、イメージが湧かなかった。すいません。
三重県のイメージ自体、私の中で乏しいのかも。
実家のお隣の県なのですが、意外と行った回数は少ない。

まえがきにある、
「建築(Architecture)は、単なる物質的な建物(Building)とは違って、
暮らしの中に根付き、人の営みに欠かせない「心の器」なのだ」(要約)
というくだりに、ふむふむとうなずく。


ページをめくっていくと、
俳聖の暮らしに思いを馳せる「芭蕉の生家」、
当時の賑わいが目に浮かぶ「松阪商人の屋敷」や「町井家住宅」、
太鼓楼のあるハイカラな「旧小田小学校」、
ジョサイア・コンドル設計の「六華苑」、
地域コミュニティを育ててきた「越賀の舞台」、
バウハウスの香りもそこはかとなく漂う「レーモンドホール」、
遊び心満載の「伊賀市役所」
などなど、
現役の建物も数多く紹介されています。

愛着とか、精神の拠り所とか、
経済や政治の都合で、切り捨てられそうなものを、
丁寧に検証していくことは、無駄なことではない。
今やこれからの町づくりのヒントになると感じます。
写真の撮り方も、編集も、文章も、
熱意を込めて丁寧につくられていることが伝わる写真集です。

どの建築も、美しさと持続可能性をテーマにもっているように思えるのは、
やはり伊勢神宮があるからなのか。



実家のお隣の県に、こんな美しい建築の数々があるとは、
全然知らなかった。

建築はなんといっても「感じる」もの。
機会があればどれも訪ねてみたい。

図書館での偶然の出会いに、心がほくほくしたひととき。

夏のかるた会

近所で開催された、かるた会で優勝しました。
参加者は20人程度で、ほとんどが小学生。
残りは、20代が一人、30代が一人(ワタクシです)
70代が二人といったところ。
1枚差でギリギリ小学生に勝てました。

2回対戦があって、100首全部読むのでけっこう長くて、
途中で集中力が切れそうになった。

やっぱり身体を鍛えるって大切だよなぁとつくづく思いながら、
なんとか自分を立ち直らせた精神力の強さに、我ながら驚く。

「自分で自分を立ち直らせるための
思考や感情のコントロール方法や順番を知っている」
ということは、
歳を重ねて得たもののひとつでありましょう。

私がとても楽しかっただけでなく、
本気で楽しみ、勝負に熱中する大人の姿を
小学生たちに見せられたこともよかったと思う。

若いほうが記憶力も瞬発力もすごいから、
負けるかな、と思いかけたけど、
大人は大人で強みがあるのだよ。
フッフッフ......。

テクニックだけではない、
歌の成り立ちや背景への深い造詣、
関連づける力、
集中力が切れかけても、立て直す精神力、
勝負に対する深いところからの貪欲さ、
などなど。。

強い大人と対戦するのは、こどもにとっても
すごく楽しいことだろうと思う。
「くやしい!」
「もっと強くなりたい!」
「追い越したい!」
って思ってくれたらうれしいな。

かるたサークルをやっているけれど、
外部の会に出るのは初めてで、
機会があればまた出てみたい。

私は競技かるたをちゃんと習ってたわけじゃないし、
記憶があやふやな札とか、
苦手で取れない札もたくさんある。
ちゃんとかるたをやってる人からすれば、
全く「弱い」のだろうけど、

でも楽しい。
ただ楽しい。

こどもの頃から家でやっていて、
学研の「まんが百人一首」をバイブルに、
とにかく一首でも覚えて、
たくさん札が取れるようになるのがうれしかった。

中学校のときの校内大会で、
一枚差で準優勝に終わったのが、
今でも悔しい思い出。
負けず嫌いだから。

関西出身で、歌われている風景の中で育っているから、
思い入れもひときわ深いかもしれない。

かるたの良さはなんといっても、
 ●芸術とスポーツが一緒になったユニークさ。
 ●年齢も性別も関係なく、フラットに勝負できる。
 ●勝負を経てうまれるつながり
かな、と思う。

ついつい調子にのって、
かるた会のHPなどのぞいてみたけど、
入会制限しているようで残念。

漫画の影響は、まだまだすごいみたいですね。

2013年8月6日火曜日

「もしもし下北沢」

最近、よしもとばななを読んでます。
と言ったら、オススメされたので、読んでみました。
下北沢と聞いたときに、上京したての頃に、この辺りに住む人を訪ねてきたことを思い出して、ちょっと懐かしいような、ぎゅっと照れるような感じがあります。

一緒に会いに行った友人は、彼女が自衛隊に入ってからはしょっちゅう基地を移動するので、いつしか連絡がつかなくなっていったっけ。

あとは、下北沢は古着とか古道具を買いに来たり、ちょっと年上の人と飲んだり。こういうまちを自分の行き付けにして、自然に馴染んでいる人をカッコいいと憧れたり。
上京したての一年目の、「これから自分はどうなっちゃうんだろ」と思ってた不安定な時期をばあっと思い出しました。


都会の中で生きるって、そうだよね、こういう感じ。大勢の中の替えがきく一人の感じと、でも個人が生きてる実感と、両方ほしいんだな。
結局、人間の営みなんて、どこへ行っても変わらない。
ただ、都会は隙間とか無駄とかがなくて、しんどい時がある。
何にも使われていない土地とか、ただの地面、みたいものはない。隙間なく、必ず何かに使われているよな~とまちを歩いていると思う。
だからといって、それが悪だというのでも、どうにかしたいというのでもないけど、ふと思う。
そういう感じをこの小説では表現していた気がする。


一見奇抜であり得なそうな設定になぜかわいてくる反感の理由が、読み終わるころには分かるという不思議さ。
反感というのは、例えば。。
夢で見たことで繋がったとか、誰かの言動や振る舞いで腑に落ちたとか、「現実には、そんなにすぐ悟れないよ」って思ったりすること。
一文が短いから、やたらと潔い人たちばかりのような気がすること。
でも段々と、ああ、そうか~と分かってくる。

「わたしを離さないで」

映画化もされて、ずっと気になっていた小説&小説家だったのだけど、ここにきてようやく読めました。

一度借りたものの、期限内に読めず、
でもやっぱり気になってもう一度借りて。。

こういうことが、実はしょっちゅうあります。
読もうと思って借りたはずなのに、いろんな理由で読めなくなる。
でも気になる本は、結局時がくれば、読む機会がちゃんと訪れるのだなぁ、と最近は思います。

ちなみに私は何冊かの本を並行して読んだり、つまんなくて途中を飛ばして最後を読んだりします。
いろんな本の読み方があるものです。

さて、この「わたしを離さないで」は、最初の10ページまでは状況を把握するのに少し疲れましたが、それ以降はすぐにある程度の輪郭が見えてきて、最後まで一気に読みました。

(家人が寝静まった夜中に、一人ごそごそと起きてきて、毛布にくるまってソファで本を読むって至福のひととき。)

私は、長いモノローグって苦手なのですが、そんなことを忘れるほどの細部に渡る緻密な描写で、画が動いているかのように、ありありとイメージできました。

次第に
「あり得なくない」
または
「このことを(なぜか)知っている」
という感覚になってくるのも不思議でした。

抑えた語り口の中に、一文や一語でさりげなく差し込まれる事実があまりにも衝撃的で、「え?今、何て言った?」と物語の途中で呆然と立ちすくむこともしばしば。

それでいて、物語は、立ち止まることをゆるさず、あっという間にエンディングまで運ばれていってしまった。。
まるで夢を見ているような、迫力のある小説でした。

不思議な読後感。。

これは読めてよかった!

2013年8月2日金曜日

「JAPAN THROUGH A LEICA BY IHEE KIMURA」


意を決して、満を持して...(というほどのことでもないか...)
「カラマーゾフの兄弟」を図書館に借りに行こうと思ったら、

なかった。。。

どなたか、私と同じこのタイミングで、
「カラマーゾフの兄弟」を読もうかなと思い立ったのね、
と想像すると、なんだか妙に親近感が湧く。

そんなことを思いながら、
書架をぶらぶらしていて見つけたのが、こちら。
「JAPAN  THROUGH  A LEICA BY IHEE KIMURA」

木村伊兵衛の写真は、「あ!」と思ったらもう撮っている、という感じが好きです。
「いい女だな」と思ったらもう撮ってる。

で、こちらの写真集は、もともとは1939年に三省堂から出版されたものの復刻版です。
400部刷ったうちの96号というナンバリングまでされていて、
大変貴重なもののようです。
お値段も「本体22,000円+税」。。。

こういう本も読めるって、
図書館の存在ってありがたいなーとつくづく思います。

1939年といえば、まさに戦時中。
まもなく太平洋戦争に突入しようという頃。
そんな殺伐とした時代の空気とは裏腹に、
穏やかで美しい人々の表情、暮らしぶり、伝統文化、風景。
でもこれらも対外宣伝(プロパガンダ)のために撮られた写真だったようです。
日本の特定の部分だけをよりよく見せるために、
特定の見方をして撮る、ということが行われた時代。

1941年からは、陸軍参謀本部の後援を受けた対外宣伝機関で、
「FRONT」というプロパガンダ誌の写真部主任に就任していたそうです。
そこでは、写真に仕掛けを施すこともあったようですし、
自分の理想とする報道写真とはかけ離れた仕事をしなければならなかったとか。

写真家として、とても辛い時代。
美しい写真の数々の裏には、苦悩もあったのかと、
単純ではありますが、木村伊兵衛の写真を見る目が、少し変わりました。

Fathers Work Less Hours in the UK

きょうの英会話、
「先生のオススメを」とお願いしたところ、
こちらの記事についてのディスカッションとなりました。

"Fathers Work Less Hours in the UK"
http://rarejobdailynewsarticle.blogspot.jp/2013/08/fathers-work-less-hours-in-uk.html

もうこのネタ、先生も私も、盛り上がる盛り上がる。。
前回が、アフリカの経済成長についての記事だったのですが、
自分の盛り上がり方があまりにも違うので、
思わず笑ってしまいました。

先生も小さなお子さんが一人いるので、
「わかるわ〜あなたの気持ち。うちもさ〜」
など、共感し合いながら、
熱く自分の思いを語りながら、
英会話のレッスンを軽々と超えて、人と人としてきちんと話せた感じ。

この「伝えたい!」って感じ、
何度も味わって、忘れずにいておこう。

文法はまだまだめちゃくちゃだし、
語彙が足りなくて、
言いたいことが言えなくて、まだまだもどかしいけど、
英語で伝えるのは、楽しい!





植田正治切手「写真するボク」

植田正治生誕100年記念ということで
発売された切手シート、
買ってしまいました。

窓口販売は、鳥取県内と、
東京でも一部の郵便局の取り扱いなので、
郵便局のサイトで買いました。

なかなか豪華です!
年表もついています。
「写真日和には植田写真場を妻の紀枝さんにまかせ、
自転車で写真を撮りに行ってしまうこともあったという。」
なんて。。

どこかで聞いたような、と思ったら、
木村伊兵衛でした。同じようなことが書いてありました。

植田正治の写真が好きで、
時々、家でもときどき写真集を出してきて眺めています。
モダンで、おしゃれで、懐かしい。

こんなPV見つけました。
遊佐未森さんの「初恋(作詞 石川 啄木 作曲 越谷 達之助)」が素敵だった〜


こども嫌いだった私の誤解

先日カフェでこどもとお茶していたら、
後ろの席の人が、
「うるさい」と聞こえるか聞こえないぐらいの声で言って、
コーヒーカップをがしゃんと音を立てて置いた。。。
ということがあった。

私も自分のこどもをもつまでは、
こどもが嫌いだったから、
「うるさいなぁ」って気持ちもわかるし、

親でさえ「ほんっとお前うるさいねぇ」と思うときは多々ある。

しかし他人からあからさまに不快感を示されると、
それはそれで凹む。。

もちろんその人には謝るし、こどもに説明するし、
そもそもこども連れでお互い快適かは
事前に考えて行動しているのだけども。

もちろんあたたかく迎えてもらえることも多いから、
凹んでばかりでもないのだけど。

こどもが身近にいないとわからないことも多い。

例えば、
 ・こどもは、親の言うことはきかない
 ・こどもは、ほんの2,3秒ぼーっとしてただけでも、どこかへ行ってしまう
 ・親は(というか人は)、こどもだけに注意を向け続けることはできない
ということがある。

でも私は以前は、「親がなんとかしろよ(怒)」と思っていたので、
それはほんとゴメンナサイ、と思う。
親が全力で対応してても、こどもはコントロールなんかできる存在ではないのです。

ちなみに
 ・こどもを電車やバスの椅子に座らせておくのは、甘やかしている
という批判をどこかで見たけど、それは違います。

こども(特に未就学児ぐらいの年齢)は、
放っとくと、手すりももたないでちょろちょろするので、
倒れたりぶつかったりして危ないのです。
そういうことをしていると、他の乗客の迷惑にもなります。

知らないといろいろ誤解あるよね。。
でも「違うのよ」ってわざわざ現場で言えないし。

そういうこと、たぶんもっとたくさんあると思う。

道具を手に


JALの会員誌に掲載されてた興味深い活動。

「道具を手に」というフランスの非営利の市民団体。
http://www.loutilenmain.asso.fr/default.asp?
(フランス語なので読めないんだけど、、)

リタイアした職人たちが週1回、ボランティアで中学生に手工芸を教える。
ただの体験ではなく、2年間みっちり手取り足取り教えてくれる。

「職人技」は、七宝焼、料理、鉄工芸、石工複製、モザイク、
園芸、木工、電気回路、羽ペン書道、縫製、模型、設計図...など幅広い。すごい。

このアトリエがきっかけになって、職人を目指す子もいるとか。


-----(以下引用)-----
「相手が子どもだからといって、ちゃちな道具を使わせるのではなく、本物の鑿や金槌などの工具を持たせる。鉄の溶接では火花が飛ぶし、彫刻では埃まみれにもなる。シニアが一生をかけて磨いた技術を伝授されるのだから、子どもたちの目も輝くはずだ」
--------------------------

中学生にもなれば、本物を知りたいという欲求は、より強くなる。
本物をもたせてもらえて、本物(シニア)から伝授されるというのは、
ものすごく刺激や向上心をかき立てられることで、
ワクワクするだろうな、と思う。

思春期の若者も、シニアも、お互いに本質を見つめる目が鋭く、
ごまかしが利かない、そして探究心がある世代。
この交流はすばらしい。

言葉にすると「世代間交流」って陳腐なのだけど、
具体的な形として世の中に存在しているのを見たり、
自分がその中に居たりすると、
ほんとうに様々な手段(これの場合は、道具)があり得るのだと思う。

そして、このような活動がもたらす影響は、
こどもの居場所づくり、シニアの社会貢献、認知症予防、
キャリア教育、技術の伝達・伝承、地域コミュニティの形成、など、
ほんとうにたくさんあると感じる。