2013年9月13日金曜日

北海道立三岸好太郎美術館

7月に北海道に行ったときに、
札幌の北海道立三岸好太郎美術館にも行ってきました。
こちらの本を読んで気になっていたので、タイムリーでした。


森の中にたたずむ美術館。
近くに道立近代美術館があるのですが、
そちらから流れてきて訪れる人はそれほど多くはなく、
地味に存在しているという感じです。
個人的には居心地がいいのですけどね。

三岸好太郎......いったいどんな絵を描くのか?
あえて予備知識少なめで行ってみました。

彼が画家として立ち、活躍したのは、
ほんの10年ちょっとの間。
31歳で亡くなっています。

その10年の間に、
ちょっとびっくりするほどの画風の変化。
とても同一人物のものと思えず、正直、戸惑いました。

今まで私が見てきた画家の作品は、
もちろん画風は変化していくのですが、
根底には同じものが流れていることが
しっかりと感じられるのですが、
三岸に関しては、なんだかよくつかめないなぁ、
という感じでモヤモヤしながら出てきてしまいました。

例えて言うなら......
「どんな女とも付き合える男」みたいな感じなのかな。

実は、三岸自身の作品よりも、
企画展「絵からとびだしておいで!」のほうが面白かったりして。

なかいれい」さんという絵本作家/イラストレーターの方が、
三岸の作品を舞台にした絵本を描いていて、
その絵本の原画と、
題材にした三岸の作品が並べて展示してありました。

「マ〜ル」というオリジナルのキャラクターが、
絵の中に入り込んだり、
絵の中の人物と会話したりする様子が、
ビビッドな色づかいと可愛らしい絵柄で表現されてます。

パロディとはまた違う、
こういう絵を題材にした発展のさせ方(遊び方)が
ありそうでない感じ。
自由でユニークで、楽しい。

「美術作品で遊んでみる」という試みは、
いろんな美術館で行われていますね。
作品に対して、作家も観覧者も参加させようとする潮流、
面白いです。
これからもアンテナ立てて行きたいところ。

そうそう、三岸が東京の中野区鷺宮に建てたというアトリエは、
バウハウスを学んだ友人が設計したものだそうです。
「現存しているのか?(だったら見たい!)」
と思ってググってみたら、
お孫さんの手で丁寧に保存されているようですね。

ぽつぽつとイベントやワークショップなどもされている様子。
気になります!



2013年9月12日木曜日

最近読んだ漫画


最近読んだ漫画の記録。
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★テルマエ・ロマエ/ヤマザキマリ


軽いパロディマンガみたいなものかと思っていたら、
すっごい本格的に時代考証されてるし、描画も丁寧でびっくりした。
面白かった!




★コウノドリ/鈴ノ木ユウ


「実はもうひとつの顔があって」という設定は、
今のところは必要なのか?って感じだけど、
これから話が進むにつれてじわじわ利いてくるんだろうか。

スムーズにいってしまうと、
妊娠・出産は、昔も今も奇跡的なことだし、
命がけの行為である
ということを忘れてしまいがち。
その現場で向き合い、葛藤する人たちがいることも
思いださせてくれる。
経験者でなくとも胸打たれるマンガ。




★鈴木先生/武富健治




巻を重ねるごとに表紙が怖い。。
またこの劇画が、えも言われぬ迫力で迫って来る。
一巻読み終わるごとになんか疲れる、
なんなのこのマンガ!!!!

当たり前だけど、
「仕事」って一単語でくくってるけど、
そこには数えきれないほどの職種がある。
そこで感じることも、葛藤も、喜びも、
人の数だけあるのだよね。

「沈黙」


村上春樹の「沈黙」が読みたくて、
図書館で検索してみたら、これがヒットしたので借りてみました。

『村上春樹全作品1979〜1989 5』に
書き下ろしとして収められているものでしたが、
「1993年に全国学校図書館協議会により、
集団読書テキスト中高生用に単行本化(wikipedia)」とあるのが、
恐らくこの明治書院から出ているもののことでしょう。

こちらのページに全収録作品が載っているのですが、
http://www.meijishoin.co.jp/book/b107645.html
近代〜現代の作家の作品が網羅されていて、
また長いものは、一章とか、一部分のみが掲載されているのもお手軽です。
副読本として、よくできているなと思います。
若干「読書ポイント」がお節介かな、
という気がしますが.......。

その中で「沈黙」は短編なので、
フルテキストが掲載されています。

この話はメインとなるのが、中学時代のことなので、
今リアルに人間関係に悩んでいる子どもたちへの
メッセージになることでしょう。

しかし、私は別のエピソードを思い出していました。
青木のような、利己的で執念深く人を貶めることに喜びを見出し、
機会を常にうかがっている人間に
実際に会ったことがあるからです。
また、青木の周りにいる
「風見鶏のように虚ろな人間」も知っています。

青木のような人間がいることを、
私はそれまで知らなかったのですが、
実際その人間の近くにいて、
話をしたりするとすぐにその異常さや、
存在そのものの邪悪さに気づくことになりました。

とても怖い経験でした。
しかし大沢さんが言っているように、
周りにいる虚ろな人間の方が、
ずっと怖いとも思いました。

自分の考えというものがなく、
ただ風が変わる方へ向くだけ。

こういう人たちに会ってしまったときは、
できるだけ全速力で逃げるようにしています。
関わりを持たないようにするのが一番です。

この短編、ほんとリアルで寒気がしました。








2013年9月11日水曜日

悪霊 ~下女の恋



いつものお芝居友だちにお誘いいただいて、
松尾スズキ作・演出のお芝居
「悪霊 〜下女の恋」を見てきました。

下北沢の本多劇場といえば、
なんとなく演劇の殿堂的な感じで、
お芝居に関しては、全く素人の私はドキドキでした。

収容人数386名。
決して広くはない、この適度な空間が観客としては心地よい。
興行的には難しいのかもしれないけども。

かなりハイテンションで始まるのだけど、
登場人物の背景が次第に見えて来ます。
血縁によって受け渡される負の遺産、
満たされなかった感情に対する喪失と悼みと物語。

気持ち悪いぐらいに笑いを挿入してくるあたりもシュールで、
悲劇なんだか喜劇なんだかの解釈も自由。
こういうお芝居は好きだな。

「面白かった!」ってスカッと笑えるものも好きだし、
「ああ、人間ってのはな...」と思うのも好きだし、
「切ない〜」とのたうち回りながら帰途につくのも好き。

お芝居の良さに最近また着目しています。
ギリシャ、ローマの時代から綿々と続く演劇という表現。
目の前で、人が生で演じるのを見て感じる体験を
根源的に必要としているんだなぁ、としみじみ思います。

もしかするとドストエフスキーの「悪霊」が
ベースになっている部分があるのかもしれないので、
「カラ兄」の次は、「悪霊」を読もうと思います。

そうそう、こういう舞台を観に行くと、
PRチラシを50枚ぐらいどっさりいただきます。
それを眺めるのも楽しみだけど、
必ず、シェイクスピアは入って来るのね。
今回のだけでも「リア王」「マクベス」「リチャード三世」「十二夜」。。
やっぱりシェイクスピアは普遍なのだなぁ。

堤真一のマクベス、、ちょっと気になっております。

2013年9月8日日曜日

「海辺のカフカ」

先月、村上春樹の「海辺のカフカ」を再読して以来、
カフカ・ワールドをひきずって暮らしている感じです。

出版された当時にオープンしていた
ウェブサイトの投稿メールを掲載したマガジン版
「少年カフカ」を最初に読んで、
その後小説を読み始める、
という変わったことを今回はしてみました。

この「少年カフカ」での読者と村上さんのやり取りが
一つひとつ深くて、
読むのに意外に時間がかかってしまいました。
まぁ、こういうのを楽しめるのも、
ファンだからかもしれません。


一度読んでいるはずなのに、
あらすじはほとんど覚えていなくて。
(私ってそんなんばっかり...)

でも甲村記念図書館のつくりや内部の様子、
近くの海辺の静けさや波の打ち寄せる音などは、
すごく強くイメージがついていたようで、
「またここに戻って来られた」
というような、懐かしい感じがしました。

単純に「好き」というのとも違う、
誰かとこの小説について語りたい感じでもない、
私にとって、とても特別でプライベートな作品だと感じました。

ほんとうにうまく言えないのだけど。


ついでに英訳版も読んでしまいました。

最後のカフカくんが旅立って行く49章は、
別れのシーンでもあるので、
今まで関わって来た人たちとの会話の
ひとつひとつの言葉に思いがこもっているのが
今の自分にはあたたかく感じられ、
何度も声に出して読んでいます。

サダとカフカくんのやり取りで出て来る、
"If you can't get it across in words then it's better not to try to explain, even to yourself. "
が、なんだか胸に響いてきます。



「カラマーゾフの兄弟」(途中)


ついに(ってほどのこともないけど)手をつけた「カラ兄」。
今、2巻を半分ほど読んだところです。

最初は人物の相関図がよくわからなかったので、
家系図を書いてみましたが、
ガルシア・マルケスの「百年の孤独」ほどではないかも。
(今のところ)

それにしてもウワサには聴いていたけれど、
登場人物、興奮し過ぎ......
みんな長ゼリフだし、ヒステリーだし、人の話聴いてないし、
事実無根で決めつけて来るし、皮肉だらけだし。
出自もすごいし。
うーん、面白すぎる。

血族や民族や国家や、果ては人類同士の愛とは何なのか、
ということを描こうとする作者の切実さを
ひしひしと感じたりもします。

「百年の孤独」の世界と全然違うのは、
百年の孤独は、ものすごく匂いがする。
肉とか血とか食べ物とか、ありありと感じられる。

「カラマーゾフ」の方も、リアルなんだけど、
寒すぎて鼻はあんまりきかなくて、
その代わり肌で風や空気の感触がびりびりくる。

いや、どっちも一読者のどうでもいい感想です。

最近、「カラ兄」を誕生日に頼んで
親に買ってもらったという人と知り合ったので、
読了する日が楽しみです。ふふふ。


「マクベス」

ここ3カ月あまり、
とにかくたくさんの本を読んで来ました。

小説、エッセイ、自叙伝、ビジネス書、
実用書、児童書、雑誌、写真集、英語のペーパーバック....
こちらにアップしているものは、そのごく一部です。

それでもなんだか飽き足らず、
図書館の貸し出し冊数も、
予約リストもいつも一杯。

「もうええわ!」となるまで、
しばらくこの状態でいようと思います。
なんといっても、
人生でこんなにも読書に捧げられる時間は、貴重です。
初めてといってもいいかも。

いろいろわかったことはありますが、
「私にとって本は、食べ物である」
「読書の習慣があってよかった」
ということ。

自分一人の世界に籠り、
あえて孤独に過ごすときに、
私の場合は読書があり、
その中で自分と深く対話することができるのですが、
その習慣が無い人は、何をして過ごしているのでしょう。
身体を動かすとか?

なんだろう...思いつかない。


「今、たくさん本を読んでいる!」と公言すると、
「これ、いいよ」
とさりげないオススメがあったりして、参考になります。
(もちろんオススメされても、
自分が本当に気が向いたものしか読まないけれど)



こちらの「マクベス」は、
オススメされてよかった一冊です。
シェイクスピアってあらすじは知っていても、
この台本の形で読んだことはなかったので、とても新鮮。

この岩波文庫のワイド版を使って、朗読をする会にも参加してみています。


マクベスが、運命のままに凋落していく様子を
常にギリギリのシチュエーションで描いていく、この迫力。
人間の弱さ、浅はかさなど、普遍的なものを感じます。

しかも朗読会で声に出して読み合わせしているので、
台本だけを読んでいても、スッと物語に入れる感じがあります。

シェイクスピアの作品の中でも、
薄い(ページ数が少ない)ので、すぐに読めてまずはオススメです。
他の作品も読んでみようと思います。

ちなみに、実家に帰ったときに近所の図書館で借りたら、
未だに返却期限を本の最終ページにスタンプで押すやり方で、
懐かしくなりました。


2013年9月7日土曜日

「走ることについて語るときに僕の語ること」


最近、村上春樹を小説もエッセイもまぜこぜで、
ひたすら読み直しています。
これもその一冊。

7、8年前は、夜の公園を走ったりしていたのですが、
最近はそんなこともなく、
基本的に走るのは苦手だという思い込みでいるので、
このエッセイにも、敢えて手を出さないでいました。

ただ、他のエッセイでも「小説家であるために走り続けている」
ということが頻繁に書かれているので、
それってどういうことなのか、
ちょっとじっくり聴いてみたいな、
と思って読んでみました。

心と身体のバランス、調和、統合、
取り込んだものを健全に表現すること、
健やかに長く生きて行くいくために必要なこと、
というような、私の今のテーマについて書かれていたように思います。

「フィジカルを継続的に鍛える」
いろんな場所で、いろんな人によって語られているし、
気づいている人はもう若いうちから始めているよね。
この休みの間に考えなくてはいけないことのひとつ。


-----引用------

「いずれにせよ、僕はそのようにして走り始めた。三十三歳。それが僕のそのときの年齢だった。まだじゅうぶん若い。でももう「青年」とは言えない。イエス・キリストが死んだ歳だ。スコット・フィッツジェラルドの凋落はそのあたりから既に始まっていた。それは人生のひとつの分岐点みたいなところなのかもしれない。そういう歳に僕はランナーとしての生活を開始し、おそまきながら小説家としての本格的な出発点に立ったのだ。」


「たくさんの水を日常的に目にするのは、人間にとって大事な意味を持つ行為なのかもしれない。まあ『人間にとって』というのはいささかオーバーかもしれないが、でも僕にとってはとりあえず大事なことであるような気がする。しばらくのあいだ水を見ないでいると、自分が何かを少しずつ失い続けているような気持ちになる。それは音楽の大好きな人が何かの事情で長期間音楽から遠ざけられているときに感じる気持ちと、多少似ているかもしれない。僕が海岸のすぐ近くで生まれて育ったということも、いくらか関係しているかもしれない。」

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私も湖と川のほとりで生まれ育ったので、
このくだりはすごくわかる。
「私にとって、
ものすごく大事な意味をもつ行為である」と断言できる。

33歳という年齢も、
そういえばものすごいターニングポイントだったなぁ。

吉本ばなな自選選集 2 LOVE


最近、「まるでこれはよしもとばななワールドだな」と
思うような不思議ないいことが私の身近に起こるので、
ばななワールドってどうだっけ?と思って、
こりずにまた手を出しています。
(実は読むのはなんか怖いw)

1話目が「白河夜船」。
出たのは確か私が中学生の頃だったと思う。
高校生の姉が買ってたので、読ませてもらった。
今、読むとすごい話で、当時の私はきっとサッパリ
(書かれていることの10分の1も)理解していなかったはず。

それでも、しみじみと、しんしんと、
夜がこの世界に等しく降りてくる感じとか、
大事なものが永遠に喪われたとき、
傍目には、なかなかそうとは気づかれないけど、
孤独にまみれてのたうちまわる感じとか、
そこからまた再生していく人間の力とか、
そういうものが思いだされて、
ちょっとじんとした。


じんとしたところ引用>>
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「虹を作りながら、泥の水たまりに映る美しい空、流れて行く雲を見ながら私は思った。こういう小さな、笑ってしまうようなことが、人生を作る細胞だと。ていねいに感じることができるコンディションでいることはむつかしい、そのためには私には、空や、草花の息吹や、土の匂いがとても必要だ。(ハネムーン)」


「人を殺すこと、その肉を見ること、血に触ること。それをいやと思わない心はみんなの中に等しくあるのだ。しかし、あると知っているからこそ、ごく普通に、行かないように保っているのだ。でも誰かがその世界に惹かれたら、止めることはできない。その暗い世界では人は単なるもの同士であり、感情は深く触れ合わず、力と孤独のみが行動を決めてゆく。それはそれで私たちの生きている現実に匹敵する真実の世界だ。裕志をそこに行かせたくなかった。(ハネムーン)」
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ちなみに私の身に起こる不思議なよいことの方は、
「不思議だ、これは何だ」
と最初は意味とか「本当のこと」を知ろうと一生懸命考えていたけど、
今は、頭で考えるのはやめて、
ありがたく不思議なよいものとして頂戴しておくことにしました。


「LENI RIEFENSTAHL LIFE」


図書館で、レニ・リーレンシュタールの
ライフヒストリーを追った写真集を見つけました。

度々書いてますが、こういう大判で、
個人ではなかなか手が出ない値段の本が、
図書館に所蔵され、自由に閲覧できるのは、
ほんとうにありがたいことです。

ダンサー、女優、映画監督、写真家、スキューバダイバー...
と彼女の才能を発揮するフィールドが広がっていくにつれて、
ますます美しさが増していくのに圧倒されました。
天は二物を与えず、っていうのはウソだな、とあらためて思う。

そこに惹かれてゆく男性との関わりなどもみてゆくと、
なかなか興味深いです。
強い女のイメージしかなかったけど、
好奇心いっぱいで、真っ直ぐで、
愛情が多い人でもあったのではないかと、
勝手にそんな気もしてきます。

しかも101年間も、、、なんて濃い人生なのか!




2013年9月2日月曜日

「野中ユリ展」


神奈川県立近代美術館鎌倉別館(長い...遠い...)
で開催していた野中ユリ展に行ってきました。
実はこの方のことは存じ上げなかったのですが、
なぜはるばる行ったかというと、
私、コラージュものが大好きなのです。

今回は、平面のコラージュのみでしたが、
造形のコラージュもあるそうで、
「日本のジョゼフ・コーネル」とも呼ばれているのだとか。
存じませんでした。。。

ちなみにこのメインポスターを見て、
「中学生のときにつくった年賀状やん!」
と思ってしまいました。

当時は、コラージュという言葉も知りませんでしたが、
切り貼りするのが好きだったんです。
チラシやポスター、ロゴやフォント、
包装紙などをつかって、
独りで黙々と作ってました。
気に入った素材は、箱に入れてしまっておいたり。
内向的で暗い中学生だったなぁ〜......。

野中ユリさんについての情報は、会場にもほとんどなくて、
(活動の年譜はあったけど)
どういう人となりかよくわからず、
作品から想像するしかなかったのだけど、
私の頭に浮かんだキーワードは、

「超絶孤独」

だった。

それは哀しみも苦しみもない、
ただの絶対的な孤独。

そういうものの一部が、
自分の中にも綿々と生き続けていることもまた
味わいながらのひとときでした。

久しぶりにコラージュ、してみたくなって、
ごそごそと素材を集め始めているこの頃です。