2013年11月30日土曜日

Lesung mit Yoko Tawada


好きな作家の一人、
多和田葉子さんの朗読会@上智大学へ行ってきました。

多和田さんは大学卒業後にドイツに渡り、
以来30年間ドイツで暮らしている。
日本語とドイツ語の両方で小説や詩を書く、
バイリンガルな作家として有名です。

私と多和田さんの本との出会いは、
エクソフォニー 母語の外へ出る旅」(岩波書店 2003)から。
彼女のもつ言語感覚に強く惹かれました。

小説も好きだけど、日経新聞に連載されていたエッセイ、
「溶ける街透ける路」(日本経済新聞社 2007)が一番好き。

単行本にするとたった4ページの短いエッセイの中に、
それぞれの街の空気が凝縮されていて、
日差しの濃淡や、その季節の匂いまで感じられます。

もしや......と期待して、本も持参したけれど、
サインの時間はなく、残念。
早めに会場を出てしまったけど、実はあったのかな??

どんな方なのかとドキドキながら行ったら、
多和田さんは、想像していたより
ずっとかわいらしくて、
情熱的で、ユニークで、
好奇心いっぱいな人だった。
小柄な身体から、尽きないエネルギーが出ているよう。
それが場にも伝わって一体となったエネルギーに
会場が満ち満ちているのを感じました。


彼女の力強く優しく美しい声で語られる朗読は、
ドイツ語も日本語も、
とにかく素晴らしくて、
もっとずっと聴いていたかった。
久しぶりにドイツ語に浸れたことも嬉しかった。


後半の質疑応答の時間では、
ドイツ語と日本語が混ざりながら、
いろんな話題が出ました。

例えば。

日本語には、一人称を表現する言葉がたくさんあります。
わたし、わたくし、あたし、あたい、うち、ぼく、おれ、わし......
方言も入れればかなりの数になりそう。

でもドイツ語では、"Ich"のみ。
「とても開放的で、透明感があって、重みがない」
と多和田さんが表現していて、少し驚きました。

日本語では主語を抜かすことが多い。
だからIch(私は)とつけるのは、
私の日本語的感覚からしたら、「私は!」「私が!」と
とても自己主張しているように思えるはずだから。

でも、一人称の表現のバリエーションが多いということは、
「どれかを選択しなければいけない」ということである。
そして、どれかを選択すると、
当然その後の話し言葉や語尾もそれと連動して変わらざるを得ない。
また、一旦選択すると、途中で変更するのも違和感がある。
その点、「Ichは常にIchであり、
わたしはわたしのままでいられる」

また、
「小さいころ、『わたし』でも『ぼく』でもない時期があって、
どちらかを選ばなければいけないのが、嫌だった」
というエピソードも披露。


ドイツ語から日本語を見たり、
日本語からドイツ語を見たり。

日本では、多くの人が、母語は日本語のみ。
一旦母語の外へ出てみると、世界が広がる。

多和田さんは、そのおもしろさを
書く実験を通して伝えてくれる、
貴重な作家だと思います。

そして、
一つひとつの作品に込めた思いや背景を
作家本人から直接聞ける
この朗読やリーディングの場もまた、
とても貴重な機会でした。

世界のブックデザイン World book design 2012-13



印刷博物館で今日から開催されている
「世界のブックデザイン」展に行ってきました。

開催初日に行ったのは、初めて。
さすがに本も並べ立てできれいです。
来年の3月2日までと会期が長いので、
終わるころにはどうなっているのだろう。

日本、ドイツ、オランダ、スイス、
オーストリア、ベルギー、カナダ、中国の8カ国で
それぞれ開催されたコンクールの入賞作品と、
毎年ドイツで開催される国際コンクールの入賞作品から、
200点が展示されています。

「美しい本」というだけあって、
一冊一冊がものすごく個性的。
実物を手にとって、
サイズ、素材、紙質、色、フォント、言語、写真、レイアウトなどなどを
細部まで触れてみて味わって、さらに解説も読んで...
というのを一冊ずつやっていたら、
まるで一人ひとりとじっくりと対話しているような気持ちになって、
さすがにいっぺんに個性の強い200人と順番に話すのは疲れて、
2/3ぐらいと話したところで、また出直すことにしました。

私は読書も好きだし、本というモノ自体も好き。
「美しい本を所有したい!」という気持ちもある。

いろいろ思ったのは、
本というモノはなくならないであろうな、ということ。
紙はなくなるかもしれないけど、
本はなんらかの形で生き続けると思う。

同列に語るのが適切なのかわからないけど、
音楽にしたって、再生(再現)の手段や機器が
技術の進歩で変わっていっても
ミュージシャンが生で演奏するのを聴きたい人がいるように
(そういうつくりの音楽じゃないものを出しているミュージシャンは除き。。)
本もまた、生のモノに触れていたい人はいるのです。

だからこそ、これからはもう、
美しい本しか存在しなくなるのではないか。
もっともっと美しさが追求されていくのではないか。
美しくない書籍は、電子書籍やネット上に存在していればよく、
これからは、資源ゴミやリサイクルに出されていたよりも、
もっと簡単に読み捨てられ、「消去」されていく。

じゃあ、その本の美しさって何?
と思ったら、この展覧会へぜひ。
今、評価されているいくつかの美しさの基準が見えると思います。
それは、来年になったらまたもっと進化していることでしょう。

しかも無料!

私もまた足を運ぼうと思います。






「小屋 働く建築」


小屋、小屋、小屋。
とにかく小屋。
ゲシュタルト崩壊しそうなほどの、小屋の写真の数々。

こうも並べられると、
世の中には、小屋のおもしろさに着目して、
普通に歩いていても、車を運転していても、
ついつい脳が小屋をピックアップしちゃう、
という人がいる、
ということに驚く。

でも、この写真集を見てると、
次第に「なるほど」と思う。

---<引用>---
「つくり手の思いが等身大のままで突っ立っている小屋。このちっぽけな建造物には、人の気持ちを和ませたり、感動を呼びさます生命力(エネルギー)がいっぱい詰まっていた。(〜中略〜)人がのびのびと気ままにつくりあげた小屋だから、そこには作り手たちの人間くさい記憶が肖像写真のように封印されていた」

「母屋は快適な住まいを目指して建てられている。伝統的な家もあるが、住宅展示場にあるような最新モデルの家があちこちに建っている。全国で住まいの外観が似てしまうのはしかたのないこだ。そこに対し、小屋は番外篇である。少々アバウトにつくろうが、派手になろうがおかまいなしである。遊び心が発揮できる。つくり手はにわか大工に変身して、頭に浮かんだ使いやすくてかっこいい小屋づくりに没頭することができる。そのいいかげんさが良い加減なのである。」

---<引用>---


p56からの小屋採集は、
目的がより明確で文化財としての価値も高く、興味深い。
地域特有の風習や行事のための小屋、
生業のための小屋など、
多くが、時代の変化と共に消え、
写真しか残っていないのは、残念であるけれど。

小屋の魅力とは何か。
人間くさい
人間サイズである
ということかな。

消えてしまった小屋たちも、
これからまた暮らしが人間サイズになれば、
また違う形で復活するのかもしれない。

このINAX BOOKLETシリーズは、昔から大好き。
今は、会社も社名も変わったので、
LIXIL BOOKLETになってますが、
相変わらず面白いタイトルが並んでます。

東京の京橋には、ブックギャラリーもあり。
一度訪れてみたい。