2014年3月20日木曜日

増山たづ子 すべて写真になる日まで


静岡県は三島の「クレマチス丘」という
美術館などが集まっているエリアに遠足に行って来ました。

IZU PHOTO MUSEUMで開催中の
「増山たづ子 すべて写真になる日まで」を観たくて。

ダムで水没する前の村を
ひとりのおばあちゃんがこつこつと撮り続けたもの。
約10万カットのネガと600冊のアルバムから
ピックアップされた写真群は圧巻でした。
それでもごくごく一部。

仲良しの村が、賛成派と反対派に分かれて
少しずつ解体されていく様は、
原発の避難区域の村の話と重なって。
岐阜の山中は、父の実家の辺りの感じがとても似ていて、
失われていく絆の意味がより判って、
胸に迫るものがありました。

たづ子さん自身は、1987年の廃村後は岐阜市に住まいを写し、
2006年に88歳で亡くなるまで村に通って写真を撮り続けます。
2008年にダムはようやく完成。

1957年にダム計画が持ち上がってから完成まで50年以上......。
村民たちはずっとずっと「蛇の生殺し状態で生きてきた」と。
一枚一枚の写真の後ろには、彼女自身の手でキャプションが書かれていました。

写真を撮ることで村人同士の絆を、取り戻そうとしていました。
いつか無くなってしまう風景を、永遠に封じ込めようとしていました。

美しい自然も
心あたたまる風習も
愛ある教育も
人の心も
家族の絆も
ダムによって永遠に失われてしまった。
戦争で家族を失った人がたくさんいたのに、さらにダムで。
もちろん小さな集落だから、もし今も残っていたとしてもおそらく限界集落。
自然に消滅していったかもしれない。
でも確かにあった人の営みに想いを馳せること。
この膨大な記録を前に、そうせずにはいられない。

一緒に行った友だちが、
幹線道路をひくために実家が立ち退きにあって、
やっぱり20年以上も「いつか無くなる風景」を見る気持ちで生きてきた
と言って泣いていました。

「仕方ない」という回答がほしいわけではない。

ただ、悼みたい。共に。
この写真を撮った人と。
この写真に撮られた人と。
この写真を観た人と。

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